103

スープの素はきみのことば。

あのときは笑い転げたね。

ばかみたいなことばっかりしていたね。

何時間もしゃべったねあきもせずに。

 

あのときは焦ったね。

発車したバスを追いかけたね。

止まってくれるはずないのにね。

 

あのときは泣いたよね。

ドーナツ食べ続けながら泣いたよね。

何個も食べ続けたよね。

 

あのときのきみのことば、

何回も思い出しては、にんまりしてしまう。

今夜のスープはきっとやさしい味になってる。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

102

ヒントのピント。

ちぎれながら移動していく雲やら、

赤ちゃんのちいさな爪やら、

丸まったキャベツやら、

ふわりと広がるスプリングコートやら、

錆びついた自転車やら、

バレエ少女のお団子ヘアやら、

プリンの上で輝くカラメルやら、

静かに歌う白い海やら、

この世界に生きているすべてに、

目をカメラにして、

まばたきのシャッターをバシャバシャきる。

こころのレンズをクリアにして、

気持ちの出口を開放すると、

“好き”の焦点はビシッとあう。

隠れたヒントにピントをあてる、

目のカメラの性能はものすごい。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

101

ワン・エル・ディー・ケー。

荷物はすべて運び終わったものの、

部屋の中にはベッドくらいしか陣取っていない。

冷蔵庫も食器もない。(マグカップだけは持ってきた)

彼は本気で気に入ったもの以外、置かないことに決めていた。

そんな生活にずっと憧れていた。

自分だけの居場所。自分だけの世界。

彼は部屋の中を歩き回る。

いつしかスキップになっていることに気づく。

フローリングにすれる靴下の感触が、実家を思い出させる。

彼は靴下を脱ぎ捨て、裸足になった。

これでいい。ちょっと不良な男は家で靴下など履かないのだ。

冷んやりした窓に顔を近づけてみる。外はほとんど深夜だった。

そこに映った自分はとても痩せていて、黒目がぬれっと輝いていた。

ラジオから突然、アナーキー・イン・ザ・U.K.が流れてきた。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

100

おはよう、せかい。

深爪してしまった指先で、こころのカーテンをそっとあける。

朝はふんわりとできあがっていた。地球は正常に運転しているらしかった。

「おはよう」と言ってみた。「おはよう」と跳ね返してきた。

じぶんに風を入れてみた。身体じゅうを駆けめぐって出ていった。

青空を吸い込んでみた。すべての細胞が目を閉じて味わっている。

これまでのじぶんの常識を、消去。

こころの空きスペースはたっぷりある。

今日わたしはデビューした。

 

 

*おかげさまで「電車は遅れておりますが」は、今日で100回目のストーリーになりました。

日常のなかのはみだした数分間、一緒に旅をしていただきありがとうございます!

これからも、ここじゃないどこかに、ひょいとトリップ。

出張先のミラノより。

シラスアキコ

「電車はおくれておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

99

好きに溺れる甘い堕落。

冷えて固くなったフレンチフライドポテトを、ポッキーの要領で細かく口の中に進めながら、知らないジャズの知らないトランペットを聴きながら、(いや聴いてない気配を感じてるだけ)ぬるいビールを“ぬるいなー”としぶしぶ喉に運ぶのが好き。

 

このパンフレットをお配りしています、と何かの説明をしてくれるお姉さんのパンフレットの表紙が、蛍光灯の光でテラテラと輝いて、誰の手垢もついてなくて、とても薄くて、きっとつまんないイラストなんかが満載の、ただのパンフレットが異常に魅力的に見えて好き。

 

眼科に行くと、こちらに座ってくださいと言われ、双眼鏡のような機械の前に座ると、この中を覗いてくださいと言われ、素直にその中を覗くと、荒野が広がり、真っ直ぐな一本道が果てしなく続き、地平線の先にはカラフルな気球が浮かんでいて、あぁこのままずっと見ていたい!と願ってしまうほどこの風景が好き。

 

*「電車は遅れておりますが」 は毎週火曜日に更新しています。

98

細い月がうたってる。

宇宙色の夜空に、星の音符がまばたきしてる。

桜のつぼみたちは、しずかに耳をすましてる。

彼女は足をとめて月と目をあわせる。

そして胸に張りついた“こわれもの注意”のシールをゆっくりとはがす。

月のうたごえは彼女のこころをなでた。

こころに刻まれたちいさな傷跡がみるみる消えていく。

ぷるんとした無傷のこころが、いっこできあがった。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

97

シーン3:老婦人と札束

黒いクロコダイルのハンドバッグをあける。

その中から濃い珈琲色の長財布を取り出す。

彼女の手は年輪を重ねたシミや皺、青い血管が浮き出ていた。

10本の指先には真っ赤なネイルが完璧に塗られ、

左手の薬指には清楚に輝くダイヤモンドが添えられている。

老婦人は長財布からゆっくりと1万円札を7枚抜き、

一瞬(ばれないように)鼻に近づけた。

お金の、あまい、匂いがした。

この行為は少女だった頃からの癖で、

その度に母親から“お行儀が悪い”と叱られていた。

7枚の札は革のトレイに置かれた。

ホテルのフロントクラークは、ゆっくりと札を数えた。

そして30パーセントほどの笑みに、あとの残りは信頼に満ちた頷きで

“確かにお預かり致しました”を表現した。

老婦人がお金を支払った。

神聖なる儀式であるかのように、すべてが美しかった。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

96

ひみつの読書。

真っ暗な部屋に、ちいさな電球をひとつ灯す。

洗った髪の毛はまだ乾いていないけれど、勢いよくベッドにもぐりこむ。

そして、ゆっくりと本をひらく。

あのこがぼくに貸してくれた本。

このことはクラスの仲間も親友も誰も知らない。

ひと文字、ひと文字、あのこがたどった文字をぼくが後から重ねていく。

ずっと昔に書かれた本。

物語の中に入り込んで、ふたりで旅をしているようだ。

ページが少しへこんでしわになっている。

あのこがめくった指の跡だと知る。

その瞬間、夜空をアーチ型の光線が走り、

あのことつながった、気がした。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

95

サーヴィスを変えてみましたの。

わたくしが瓶ビールの栓を抜く“コスン”というオトを、

好まれるお客さまが多いのです。

だからBARから音楽を無くしました。

 

わたくしが濃紺か黒のドレスしか身につけないのは、

なんというかまぁ、照れもあるのでしょう。

淡い色などはどうも、ねぇ、性格は男なので。

 

わたくしは料理をしません。

缶詰を皿に盛ったり、サラミ、チーズなどをおだしします。

料理をしている姿は似合わないといわれます。

 

わたくしはあまり喋りません。

質問されれば答えますけれど、ひとこと、ふたこと。

静かに飲みたいお客さまの方が多いです。

 

あれこれとサーヴィスを考えることがすきです。

今度はこうしてみようかしらってね。

 

まぁ、いらっしゃいませ。どうぞこちらへ。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

94

黒い家の男。

黒い家の男は、自分の才能の凄さを知っていた。

それと同時に、自分と似たような才能を持つ人間がいることを恐れていた。

だから、世の中に触れず、ひとと会わず、いっさいの情報から逃げて暮らしていた。

 

腹が減れば魚を釣り、畑の野菜を食べ、雨水を飲んだ。

黒い家の男の才能は、年々衰えるどころかますますみなぎっていった。

 

しかし、黒い家の男はうっかり世の中と接触する機会をつくってしまった。

世の中に自分と似たような才能を持つ人間が、けっこういることを知ってしまった。

 

黒い家の男は、黒い家の隅で震えていた。

才能がみすぼらしくし変形してしまった。

もう二度と開花することはないと絶望した。

 

黒い家の男は5日間眠り続け、6日目の朝、目をあけた。

喉も渇いているし、腹も減っていたが、

そんなことより、今すぐ自分の才能に会いたくなった。

(自分の才能と似ている人間がいることなど、もうどうでもよくなっていた。)

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com