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終わりから、はじまる。

シューシューとお湯の沸く音に包まれた、ちいさな映画館。彼女は入り口のちいさな窓ごしに座り、今年最後の回の切符を切っている。もう少ししたらこの窓に、ちいさなカーテンをひく。そうすれば今年の勤務はおしまい。ときおり映画の本編の音が聞こえてくる。クライマックスにさしかかっているのだろうか。

映画が好きでついた仕事なのに、逆に映画を観なくなってしまった。目を輝かせて切符を買う人たちを、映画館の中に送り込んでいくうちに、いつのまにか世の中の観客になってしまったようだ。たったひとりの観客に。

彼女が今年最後の幕引きをしようとしたとき、ちいさな窓の下から手が入ってくるのが見えた。「申し訳ございません。もう終わりなんです。」その手は彼女の手をぎゅっと掴んだ。反射的に彼女は手を抜こうとしたけれど、無理だった。冷たい大きな手の持ち主は、春に別れた恋人のものだった。「やっぱり終われない、終われないんだ。」彼の言葉はどんな映画のセリフよりも、彼女の胸に染み込んでいく。ちいさな窓は、ふたりの熱で曇っていく。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

136

わたしは女優。

両手の指先のもっと先まで伸ばして踊るの。

あごの角度、首筋と腰のラインが美しいのはわかってる。

子猫よりも軽やかに歩くこともできるの。

長い睫毛をゆっくりあげて、

じっとキャメラを見つめると、

監督が喜ぶことも承知だけれど。

わたしの目の奥にいるわたしのこと、誰も知らない。

海も、空も、太陽も、風も知らない。

知るわけがない。

いつも1mmだけ残してる。

受動の奥にある能動。

手のひらの短い生命線をたどっていくと、

自由がひろがってること知っている。

うっとりとため息をついてしまう。

 

*アンナ・カリーナに捧ぐ。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

135

小指くらいの小さなはなし。

わたしのいちばんどこがすき、と聞かれたから。

僕はマグカップを持つ指のカタチが一番すき、とこたえた。

ガールフレンドの顔はぐんぐん曇っていった。

そしてコートをひるがえして去っていった。

どうして。性格や顔なんかより、

指のカタチが何よりも大切な男だっているのだ。

指ってそのひとらしさ、そのものだとおもうから。

そうだ、僕はガールフレンドの指にふさわしいリングを買おう。

小さな箱につつんでもらおう。

彼女はあの指で受け取ってくれるだろうか。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

134

顔。

鏡の前にたつ。

自分の顔をじっとみる。

面白い顔をしている。

明るさと暗さが同居している。

黒目がつやっとしている。

自分のこころのすみずみまで、

見透かしているような。

口を縦に伸ばしてみる。

少しのん気さがでる。

口を横に伸ばしてみる。

笑っているようだ。

こいつは誰だ。

ずっとこの顔と生きてきた。

この顔は確かに自分なのだけれど。

この指も、首も、脚も。

馴染みがあるはずなのに。

初めて会った人物のような気がする。

右手を上げてみる。

命令すると動くけれど、

誰が命令しているのだろう。

自分はどこにいるのだろう。

自分はこの目の前の物体の中に、

入り込んでいるのだろうか。

脳の中に潜んでいるのだろうか。

こころ細い奇妙な感覚が、

じわじわと全身を占領していく。

自分はどこから来て、

どこに行くのだろう。

子どもの頃からずっと抱いていた謎が

まったく明かされないまま、

こんなに生きてしまった。

顔をじっとみる。

何もわからない。

 

 

*「電車は遅れておりますが」 は毎週火曜日に更新しています。

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com