361

エレヴェーターミュージックの罠。

商談はホテルの高層階にあるラウンジで行われた。髭をたくわえた、腹部が出っ張った、オニキスのカフスをしたビジネスオーナーは、最後まで首を縦に振らなかった。しかし依頼主は、オーナーのこころの中が透けてみえるようだった。すでに答えは「YES」に決まっているのだ。ただ単に、じらしているだけのことだった。二人は席を立ち、エレヴェーターホールへ歩き出す。チン!という金属音とともに、エレヴェーターのドアが開いた。ヴィンテージの家具をおもわせる、木造りの壁が輝いている。赤い絨毯にはホテルのロゴマークが記され、天井には暖色系のランプが仕込まれていた。二人きりの空間に、エレヴェーターミュージックの存在が際立った。曲はポール・モーリアの「恋はみずいろ」だった。ビジネスオーナーは、遠い目をして聞き入っていた。彼は青春時代のあまく切ない気持ちに浸っていた。駆け引きなんて知らなかった、あの頃の自分。エレヴェーターは一階に到着しドアが開いた。その瞬間「やはりあなたと組みたい。私の率直な気持ちだ。」とオーナーは言った。エレヴェーターミュージックは、ビジネスに効く。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

360

スパイス売りの少女。

さぁよっといで!好きがぼやけているなら、我慢が得意になったなら、人生にあくびが連発するなら。ピリッとこころを裂いてやる。用心深く歩いても、魅力なんて生まれてこない。ヒカリばっかり求めるよりも、ときには闇の道を選んでみてよ。さぁさ、目が覚めるような刺激、浴びてみてよ。

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359

ベストフレンド。

私がクレームブリュレの表面にコツコツと細いひびを入れている時に、あのこは主役のオーディションを受けていた。私が小川に足を浸してパシャパシャと水しぶきをあげている時に、あのこはレッドカーペットを歩いていた。私が空の写真を撮っている時、あのこは50台のカメラでドレス姿を撮られていた。私はいつだって願っていた。それはあのこが夢を叶えること。そして、ふたりが同じ学校を卒業して366日目、ふたりはいつもの橋の上で待ち合わせをした。お互いに駆け寄って、抱き合って、飛び跳ねた。あのこの目は、あの頃と全然変わっていなかった。

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358

今しかない未来。

遊園地の乗り物に乗って、行けるところまで行ってみよう。ただただヒカリが気持ちいいとか、たこ焼きの匂いが好きとか、笑い声につられて笑ったりとか。ただただ今を感じるだけで、わたしたちはよかったね。ここにいるのに、ここにいない、そんな奇妙な機械に囲まれて息をしていなかった。不安が生んだ目的をぶらさげて、動かされてはいなかった。ねぇ今、どんな顔をしている。

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357

よろこんでも、だいじょうぶ。

うさぎ「いいことがあっても、すぐにわるいことがおこるから、いいことあってもよろこばないようにしてる」りす「でもわるいことのあとには、どうせいいことがおこるんでしょ」うさぎ「うん…」りす「じゃ、とりあえずよろこんでおけば」うさぎ「そうだね、すぐにまたわるいことおこるけど」りす「そんときは、かなしめばいいよ、どうせいいことおこるから」うさぎはそらをながめながら、にんじんをひとかじりしました。

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矛盾だらけの大人たち。

夜更かし好きのお医者さん。漫画しか読まない小説家。無口なお笑い芸人。数字が苦手な投資家。買い物が趣味のミニマリスト。インスタントラーメン中毒の料理家。プロフェッショナルといわれるひとには「実は…」がある。矛盾だらけのブルース、いい味だしてる。

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355

風のダンス。

過去をビュンビュン飛ばしていくよ。こころのホコリも、かなしみのシミも、風にのせて飛ばしていくよ。言えなかったあのコトバも、握りしめていたプライドも、くるくると渦を巻いて、高くたかく飛んでいく。ワンピースのすそで円を描きながら、風と一緒に踊りつづける。何も背負っていないこのカラダで、踊りつづける。

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難解な注文の多いレストラン。

メニューをひらくことはせずに、彼女はギャルソンを見上げた。「今夜は“ふう”がいいわ」ギャルソンは聞き耳をたてるポーズをして、彼女に顔を近づける。「“ふう”とは“風”のことよ」ギャルソンは目を軽く閉じて、深く一度頷いた。「シンガポール“風”の焼き鳥に、ベトナム“風”の春巻き、スペイン“風”の魚介類の煮込みをお願い」彼女は続けた。「フランス“風”のシャンパーニュを、ベネチアングラス“風”のグラスで飲みたいわ」ギャルソンは注文を繰り返した。彼女は遠くを見ながらつぶやいた。「今夜は“ふう”がちょうどいいの。本物は重たいもの」

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353

ハロー!エイプリル。

風にふかれながら、口笛を吹く。まっすぐ伸びる空に、雲はない。胸の真ん中には、無傷の夢。1分先のことはわからないけど、自分がいくべき未来はわかっている。リュックの中身も、ポケットも、ほとんどすっからかんだけど。瞳の奥の青い光は、誰にも負けない。

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まだ、無題。

感覚が、身体を追い越していく。湧き上がるメロディを譜面に書き留めようとするが、どうしてもずれてしまう。もう我慢できない。苛立った彼は、鉛筆を放り投げる。10本の指は、白と黒の鍵盤の上を駆け巡りはじめる。自分の想像力を遥かに超えた音楽。自分が弾いているのではない。天と交信して弾かされているのだ。彼はそんな時の“自分の置き場所”を知っている。自分の姿を消すのだ。いや、確かに自分は居るのだが、何にも偏らず浮いている感じ。指が勝手に奏でる音の真ん中で、ただただぼんやりと呼吸をしている感じ。そこで卑しく自意識を持ち出すと、指は定型文のようなピアノ演奏に成り下がるだろう。芸術は孤独?もはや孤独の先には、本物の自由が待っている。決して誰も触ることができない、自由が。タイトルなんてつかない、自由が。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com