411

ブルーベリーブルース。

生きていることの嬉しさと哀しさがごちゃ混ぜになって身体を突き抜けそうになったので、とりあえずアパートを飛び出した。じっとしてはいられなかった。走る、走る、走る。初夏の夜は湿った土と草の匂い。ずいぶん走った。とうとう足が止まってしまう。自分の吐く息と心臓の音。半分の月がぼんやりと浮かんでいる。ブロック塀にブルーベリージャムがぶち撒かれている。テラテラとしたブルーベリーが月夜に照らされている。(僕のかわりに)誰かの衝動がそうさせたのか。河原の方から、サックスの音色が風に乗って流れてくる。ブルーベリーとブルースが混ざりあって、僕の一番奥の方にノックした。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

410

感情のジップロック。

嬉しさと悲しさを仕分けしていたら、悲しさの中に一滴の嬉しさが滲んでいることに気がついて、仕分けできなくなっちゃった。好きと嫌いを仕分けしていたら、そもそも好きとか嫌いとか嫌いだってわかって、仕分けできなくなっちゃった。相手のせいとジブンのせいを仕分けしていたら、全部がジブンのせいに思えてきて、仕分けできなくなっちゃった。冷蔵庫の中の整理は得意なのに、こころの中の整理は苦手です。

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409

砂糖少々。

文房具屋の娘はプンプン怒ってばかりいたので、あたたかいミルクを足してまろやかに調整した/プールの監視人のお兄さんは失恋がこたえていたので、メロドラマを上映している映画館の前は下を向いていて歩いた/素直に後輩を褒めることができない女史は、世界をぼんやり映したくてコンタクトレンズを捨てた/ヨット柄のサマードレスを着た寮暮らしの大学生は、ブラックコーヒーに砂糖少々をかき混ぜた/彼の前ではしっかり者に演じてしまう自分を、少しでも甘めにしたかったから/みんないろんな工夫しながら生きている

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408

ドーナツのむこう。

元気がでないときは、ドーナツの穴から世界をのぞいてみるといいよ。悲しいことも、不安なことも、こわいことも、ドーナツを通して見てみると、すべてがコメディにおもえてくるから。そういうことかあ!って笑ってしまうから。そんな頃合いで、あまいあまいドーナツをいただきましょう。200年前に書かれた「ドーナツの正しい使い方」より。

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407

ヨルのあこがれ。

どんなに努力したって、ヨルはヒルになれない。ソフトクリームをなめながら横断歩道を渡る高校生や、野菜や肉をたくさん買い込んだ元気なママや、まるい足をバギーにのせた赤ちゃんに会えるヒルがうらやましかった。暗くなるとみんなは家に帰り、窓とカーテンをパタンと閉める。ヨルはさびしかった。でも今夜は違う。ブルーのワンピースを着た女性がベランダに出て、夜空を見上げている。大きなため息をついてひとこと言った。「もう忘れるね」彼女は恋人とサヨナラしたらしかった。ヨルは夜風をそっと吹かせた。彼女の髪は揺れ、ぐーっと伸びをしてふっと口角を上げた。ヨルだからできることがあった。ヨルはヨルのままでいいのかもしれない。そう思った。

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406

海のしわざ。

砂浜をまっすぐ歩けないのは、海からあがったばかりだから。波の揺れが身体ぜんぶを占めている。潮風が髪の毛の中に入り込んで、ほわんほわん。頭の中もほわんほわん。つまらないともだちのジョークにも大笑いしてしまう。パラソルの下にもぐったら、日焼け止めを塗るつもりだったけど。もうどうでもよくなった。目をとじても太陽がいる。乾いたのどにコカコーラを流し込みたいけど。誰が買いにいくかジャンケンが必要で。海のだるさは、地球上でいちばんここちいい。

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405

夕焼けの合図。

どちらかがバイバイの気配を投げなければ、キャッチボールは永遠に続く。あいつのボールと僕のボールは会話になっている。言葉がなくても話している。むこうが思いっきり投げてくれば、こっちもさらに思いっきり。クスッと笑みがこぼれる。オレンジ色の太陽が、ゆっくりとビルの向こうに吸い込まれていく。あと一球、あと一球だけ。白いボールが、薄暗い空にポーンと高く舞い上がる。僕は駆け寄って、目を凝らしながらグローブにおさめる。これがバイバイの合図。今日も自分から言い出せなかった。ちょっとくやしい。

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404

うそがわかる猫。

ハハはお客さんが来るとふわりと抱っこしてやさしく撫でるんだ。でもアタシと二人っきりの時は触ってもこない。ごはんをくれるのはハハなのでその時だけはアタシの方から足に絡みつくけどね。チチは夜中にひとりでテレビをみている。アタシはかわいそうになって膝にのる。チチはのどを掻いてくれる。そしてたまに泣いているのを知っている。ケンタは最近好きなこができた。勉強机でそのこの写真をながめている。アタシが写真の上に座ろうとしたら(だめぇー)と言った。おこった顔というよりニマニマしていた。ここの家族は本当のことをしゃべらない。

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403

断らないタイプの男。

映画館を出ると陽が落ちていた。ラストシーンが頭の中で何度もリピートされる。まわりの観客は泣いていたようだったが、ついに涙までは出なかった。赤や黄色のネオンが彼の白いシャツに映り込む。「ウイスキー専門のバーが開店しました!」スレンダーな女性がショップカードを渡す。そして受け取る。「コンタクトレンズがお安くなっています!」筋肉質の男性がチラシを渡す。そして受け取る。彼はアルコールが飲めないし、コンタクトレンズも必要がなかった。しかし軽く会釈までして、ただ何となく受け取ってしまうのだった。彼は人生で断った経験が、数えるほどしかなかった。頭の中で映画のラトシーンを反芻する。自分に惚れている女にきっぱりと別れを告げる主人公。彼にはわかっていた。自分が断らないのは優しさではない。臆病なだけだと。夜の繁華街を歩き続ける。星のない夜空を見上げる。彼は決心した。彼は自由になりたかった。40億の遺産を受け継ぐことを断ろう。断ることで新しい人生が始まるのだ。

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402

アイスクリームの組み合わせ。

「わがままミルクと、きまじめミントと、嘘つきラムレーズンくださーい」前髪ぱっつんのお嬢さんは、三段重ねのアイスクリームを注文。「失恋アールグレイと、うたたね夏みかんと、大はしゃぎキャラメルをください」参考書を抱えた色白男子大学生が注文。「金庫破りダークチョコと、嘘泣きメロンと、雨の日バニラをお願いします」ふわふわ毛並みの三毛猫が丸い手でお金を差し出した。アイスクリームの組み合わせにはドラマがある。そしてそのドラマの真実を読み取るのはムズカシイ。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com