78

月と言葉とススキの葉。

塾の帰り、一本道は静まり返っていた。墨汁をひっくり返したような夜空に、たまご色のまるい月が浮かんでいる。道の両脇からせり出している大きな木々は怪獣のようだった。友達は拾ったススキの葉をぶんぶん振り回しながら、少し前を歩いている。

「あのさ、俺さ、塾の俺と、学校の俺と、家での俺、全然別人なんだよな」

自分はとっさに信じられないことを口にしてしまった。ひとりで悩んでいた秘密。絶対に“どこかおかしい”と悩み続けていたこと。友達は振り返ると、ススキの葉をバットにみたてて素振りをしてみせた。

「俺もだよ!」

そして彼はとぼとぼと歩き出して、自分もそれに続いた。月に照らされた彼の言葉は、自分の宝物になった。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

77

東京タワーも夢をみる。

誰かのやさしい口笛も、

誰かのぼつりん独り言も、

誰かのめそめそ涙粒も、

ぜーんぶぜーんぶ、

聞いているよ、見ているよ。

 

オレンジ色の僕は、

もうすぐ宇宙のヨルに溶け込んでしまうけど、

いつでも僕のドアはあいている。

 

口をあーんぐりあけて、

首がいたくなるくらい、

僕をみつめて。

 

ひとつだけ願いがかなうなら、

今夜はきみよりも年下になりたい。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

76

夢を温めなおして。

スープを温めなおすついでに、

こころの奥に眠っていた夢をひっぱりだして、

コトコトと温めなおしてみた。

ふーふーふー。

そうしてひとくち飲んでみた。

(ぼんやりした味だった)

夢に塩コショウをパラパラとふりかけてみた。

(思っていたのと違う味だったけど)

でもこっちの方がいまの自分の好みだな。

いつのまにかズレちゃってたみたい、夢と自分が。

夢をあたためなおしたら、別の夢が出来上がっていた。

いただきます!

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

75

ポケットの中の手と手。

ツイードのコートを10ヶ月ぶりにタンスの奥から出して着た。冷たい風が、今年の最終回に向かって吹き始めたらしい。彼の手にはコーヒーシェイク。冷たいものを冷たい手で持ち歩くのは、少しつらい。左手をコートのポケットにつっこむ。指に何やらあたるものがある。取り出してみると小さな紙。

牛乳 ハム ヨーグルト パン(食パン以外のおいしそうなもの) アロンアルファ

…とあった。別れた彼女の眠たそうな文字だった。彼はよく買い物を頼まれていた。あの頃の日常のかけらが、予告もなく魔法のようにあらわれたのだ。彼はメモをぎゅっと握りしめると、もう一度ポケットの中に入れた。ポケットの中で彼女と手をつないで歩くように。

 

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74

エスプレッソがGoと言った。

ショーウィンドウに飾られていたあるものに惹かれて、彼女はブティックのドアをあける。それは甘い砂糖と雪の結晶で仕上げたような、ベビーピンクのファーの襟巻き。なんて可愛らしいんだろう。

しかし彼女が手にしたのは、その隣にあるブルーグレーのファーだった。昔からそうなのだ。本当はベビーピンクを選びたいのに、自分の女性性にクールな蓋をかぶせてしまう。鏡の中の自分はいつも通りだった。

その時、エスプレッソの香りが流れてきた。(あぁこのブティックはカフェカンターもしつらえてあるのだ)エスプレッソの香りは迷いのない濃縮されたほろ苦さと、どこか夢見るような軽やかさを表現していた。先週、ボーイフレンドと別れた彼女に、エスプレッソが心地よく身体じゅうにめぐっていく。

(いまの私だったら、しっくりくるかもしれない)

ブルーグレーの襟巻きを首からはずして、ベビーピンクの方をゆっくりと巻いてみる。なめらかな肌をした彼女は、誰よりもベビーピンクが似合っていた。細かい傷をたくさん重ねて得た、深くてビターなエスプレッソのこころを持っていたから。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com