235

北風が吹いたら支度。

厚手のコートをだして/ブランケットを追加して/お風呂を熱く設定して/アイメイクを暖色に変えて/ハンドクリームをぬって/あつあつのグラタンで舌をやけどして/塀の上のまるまる猫を確認して/あまいミカンを注文して/真っ暗な夕方に驚いて/ショーウインドーのケーキをちらちら見て/そろそろあのひとに会いたくなって

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

234

じぶんに素潜り。

ずっと透明な上澄み液の中を泳いでいた。波風立たせないように、そっとそっと。ずっと下の方には黒い泥や、でこぼこの石やらが沈んでることも知りつつ。たまに気持ちが揺れると、濁った水があらわれて、あたふた。でも見て見ぬふりは、もう限界。ぐるぐるに掻き回してしまえ。ホントのホントを見てやるんだ。泥も石も混じったカフェオレ色の海、これがじぶんの海。面白くなってきた。海の底まで潜っていくと、上澄み液よりもさらに澄みきった世界が見えてきた。ホントのホントも、悪くない。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

233

スロウなスープ。

どう、おいしいでしょ?って、いばりんぼな味はいらなくて。ちいさなおばあちゃまのちいさな食堂のスープが、のみたいの。ニンジンもキャベツもジャガイモも、そーっとそーっと刻んでさ、じーっくりじーっくり火にかけて、なんじゅうねんも使い込んだうつくしい両手で、「めしあがれ」ってくださるんだ。ふーふーふー。身体じゅうにゆーっくりゆーっくり沁み渡る。栄養満点。あしたも元気にがんばれます。

 

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

232

キャンセルのキャンセル。

彼女は今日の予定を取り止めにした。靴マニアにとって、雨降りの外出は致命傷だった。頬ずりしたいほど溺愛している靴を、裸でびしょ濡れにできるわけがない。彼女は玄関に座り込み、靴磨きをはじめた。空白の時間を愛する靴に捧げる。我ながら粋なアイデアだとおもった。激しい雨音のBGMも心地いい。このショートブーツは10年以上履いている。買った時より、深い艶が湧きでるようになった。このエナメルのピンヒールは、ほぼ歩かない時にしか足を通さない。おかげで傷ひとつなく、ぷるんとなめらかな肌触りを保っている。手入れが終わった靴をズラリと並べて、彼女は満足げにため息をついた。ふと、ブラウンのローファーに、一筋のヒカリが差し込むのに気がつく。振り返ると窓の外は、明るい世界に変わっていた。雨は上がっていたのだ。スズメははしゃぎ、木々は雨の雫でキラキラと輝いている。彼女は大きく深呼吸した。「やっぱり出かけよう」今日は、別れた彼の初個展の日。雨を言い訳にキャンセルしようとした気持ちに、もう一度(えいっ!)とキャンセルをした。

 

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

 

231

こころのラジオ体操。

目をとじてー。

深い森の空気を胸いっぱいに吸い込んでー。

遠い海にゆっくりとはきだしてー。

大きなもやもや、小さなもやもや、

おにぎりみたいにギュッとにぎってー。

空に向かってポーーーンと投げてー。

頭のてっぺんから指先まで、

心臓のオトがゆっくりとめぐっていくー。

すべてがある。もはやあなたには、すべてがある。

なにひとつ、足りないものはない。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com