人生の初心者になってしまった。
大げんかが勃発したのは夜中の11時22分だった。僕は危険を察知すると “いま何時であるか”を確認する癖があるのだ。夕飯を食べ終えた後くらいから彼女の機嫌は怪しかった。コーヒーをすすりながら愛聴盤の一曲(だけ)を聞き、食後の仕上げをしようと思ったとき「私の前でジャズはやめて!」と叫ばれた。
そして風呂からあがってバスタオルを一瞬だけソファーの上に置いたら「湿気がつくからやめて!」と、今度はバスタオルを放り投げられた。一番嫌いな女性の行動、それは叫ぶこと、ものを投げること。僕の怒り我慢キャパシティは完全に崩壊してしまった。戦いは午前1時18分まで続いた。
朝、目がさめると彼女はベッドにいなかった。リビングに行くとコーヒーの香り、そして「パン焼く?」と聞かれた。しかも友好的な目つきでだ。僕は「うん」と、ものすごく慎重に、かつ普段通りにこたえた。彼女は何を考えているのだろうか。まさか夜中のけんかを覚えていないわけはないはずだ。窓の外をみると、嘘みたいに晴れている。