133

覚悟運動。

冷たい空気をたっぷり吸って。

細くゆっくりはいて。

胸の真ん中をぐーっとひらいて。

頭をいい位置にのせて。

遠くの風景を眺めて。

両腕をだらんと下げて。

手のひらはふんわりのパァーにして。

肚の底から湧いてくるのはなに。

反省なんかじゃないね。

じぶんの中からきこえてくる。

やりたいこと、やっていいよ。

やりたいように、やってみれば。

賞味期限切れの思考は、

今日すべて捨てた。

 

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

132

ケーキのシネマ。

3階建てのケーキの2階に住んでいる白いクリームは、屋上でツンとすましたイチゴがうらやましかった。いつもスター気取りで、みんなの視線をあびて、ずるい。2階の白いクリームは、パティシエが目を離したすきに屋上まで自力で登った。そして真っ赤に輝くイチゴの上におおいかぶさった。イチゴは何か叫んでいたけれど、白いクリームはかまわず身体をのばした。3階建てのケーキはすべてが真っ白におおわれた。

ふくよかなご婦人がショーケースの中に目をとめた。「まぁ美しいケーキだこと!」白いクリームはニヤリとした。すると耳もとからイチゴの声が聞こえた。(真っ白な世界から、真っ赤な私が顔を出した時の感動ったらないわね)確かにそうだ。真っ赤なイチゴが、いっそう映えるシチュエーションだ。白いクリームは悲しくなってしまった。どうころんでもイチゴは主役なんだ。自分はどうせ脇役にしかなれない。

パティシエはいつのまにか誕生したケーキを見て、目をまるくしていた。「傑作だ!このケーキにはドラマがある。」ケーキには “雪の中の宝石”という名前がついて、街じゅうの人気をさらった。真っ赤なイチゴがふわっと登場する瞬間をイメージしながら、白いクリームは巧みに身体をのばした。白いクリームは楽しかった。ジェラシーはいつのまにか消えていた。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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ある喫茶店のある会話。

よく喋る男と、まったく喋らない女が、向かい合って座っている。よく喋る男はますます喋りの熱が上がり、まったく喋らない女は相変わらず黙り込んでいる。男は身振り手振りも大きくなり、踊り出すほどだった。女がひとこと、言葉を発した。男は口を閉じ、目を見開き、頰を紅潮させ、噛みしめるようにうつむいた。女のひとことは男の話を止めた、というより、男の気持ちを落ち着かせたらしかった。話の内容はさだかではないが、そういうことらしかった。ふたりは冷めたブラックコーヒーを飲んだ。ふたりは店を出て手をつないだ。そして区役所に向かった。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

130

黒いタートルネックの女。

黒いタートルネックの女は、首も肩も胴も細い。薄いシルエットが浮き彫りになっている。黒いタートルネックの女は、ほの暗いバーのカウンターに座っている。少しの振動でも割れてしまいそうなカクテルグラスを、チェリーピンクに染まった唇にあてる。

黒いタートルネックの女は、自分の部屋の様子を細部まで想い起こしている。椅子の背もたれにかかったタオル、飲み残しのコーヒーカップ、シーツの皺、ピスタチオの殻、床に散らばったレコード。さっきまで一緒だった男とつくりあげた部屋の気配を想い起こしている。それらの気配を1ミリも壊したくなくて、ひとりでバーに来た。男とつくりあげた気配は、どんなアートより芸術的で魅惑的なものだった。

黒いタートルネックの女は、カウンターごしのバーキーパーに尋ねた。「頭の中にある風景を、ずっとそのまま記憶できる魔法のカクテルはないかしら」バーキーパーはゆっくりと頷いた。目の前に届いたのは、星のように細かく砕いた氷が泳ぐ、透明に輝く美しいカクテルだった。(これは…) 黒いタートルネックの女の喉におちていく液体は、紛れもなく氷水だった。バーキーパーはひとこと添えた。「夢から覚めてください」fin

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com