34

誰も何も言わないけれど。

白より白い生クリームと赤より赤いイチゴのかけらが口の脇からこぼれ落ちないように、夜空を見上げながら合唱している風の格好で、三角のクレープを食しているあの男性はとても無表情だけれど、脳の真ん中あたりは眩しいくらいスパークを繰り返しているのだろうな。う、うまぁーって。もしも、脳の中の風景を、そのまま言葉にしてしまう機能が人間にそなわっていたいら、この世はもっと愉快になるし、もっと痛いのだろうな。

33

ひなたのしわざ。

ヒュルルルと冷たい風が吹き荒れているから、彼女は口元をマフラーの中にすっぽりと隠している。そして、ほとんど風に押されながら歩いている。寒い。早く教室に到着したい。友達とバカなことを言い合って笑いたいと願う。通りを曲がり商店街に入ると、風は嘘のように姿を消し、縁側のような暖かさに満ちていた。ヒカリに投影される細かい粉のようなものは、ホコリなのだろうか。ふわふわとダンスをしているようで可愛らしい。彼女の目は糸のように細くなっている。今度は歩きながら、眠気とのたたかいが始まった。

32

真夜中と憧れ

チン!と跳ね上がるトーストを右手で受け止める。小麦粉の初々しい香りに口角が上がる。ナイフにこんもり盛った黄色いバターをザクッと伸ばす。パンの皮膚はグランドキャニオンの岩のようにゴツゴツとしいて、口の中を傷つけるくらいにハードだ。コーヒー豆の熱い涙をサーバーに1滴残らずしぼりきったところで、やや高い位置から肉厚のマグカップへ注ぐ。舞い上がる湯気をすべて吸い込む。

そんな完璧な朝食まで、まだ6時間もある。妄想は止まらない。真っ暗なベッドの中、空っぽの胃が悲鳴を上げている。

31

ポストの中の地平線

彼は一通の封筒を手に歩いている。封筒がシワになるのを恐れ、握りしめないように気をつけながら歩いている。目線の先にポストが見えてくる。毎日視界に入っているはずなのに、初めて見るような存在感だった。(イメージより背が低く、イメージよりぽってりとしていた)

ポストの前に立つ。遠くから部活の声が聴こえてくる。冷たく白い空気の中で、手のひらだけが汗ばんでいる。差し出し口のこっち側とむこう側では、別の地平線があった。彼は手首ごと奥に入れ、指を放す。封筒はどこまでも深く、真っ暗な井戸のような空間に、ひらひらと回転しながら落ちていった。(ような気がした)彼はもう後戻りできない。

1
TOP
CLOSE

電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com