47

夕方のさつまいもは揚げたてだった。

彼女がキッチンから離れないのは、さつまいもの天ぷらを狙っているからだ。白い衣をくぐったさつまいもは、母親の手でゆっくりと温まった油の中に投入される。じゅわじゅわと景気のいい音が弾けだす。彼女はつま先立って、この瞬間を見逃さない。こんがり色になったさつまいもは、新聞紙の上に並べられる。油は汗のように染みていく。彼女はひとつをつまもうとするが、熱すぎて指から離してしまう。姉が塾から帰ってきたようだ。お風呂場からは、勢いよく水をはる音が聞こえてくる。

46

鏡の前からもうデイトは始まっている。

今夜は恋人に会いにいくから、この街に雨を降らせ夕刻から曇り空にする必要があった。雨上がりは自分の肌と睫毛に、たっぷりと艶をつくることを知っているから。そしてその通りになった。(彼女は天候の調整もできるのだ)メイクアップを終えると、スリップ一枚で大きな鏡の前に立つ。待ち合わせたレストランの壁の色は、たしか薄いパープルだった。とすれば、ドレスは真紅よりほとんどホワイトに近いレモンイエローの方が美しく映えそうだ。ふと、初めてのデイトがフラッシュバックする。16歳の彼女は、ギンガムチェックのワンピースだった。

45

皮膚の下の大合唱。

おばあちゃん家の応接間のドアをそっと開ける。足元には赤い絨毯が広がっている。外は晴れているのに、雨の日のような匂いがした。壁には大きな本棚。目当ては一番上にある百科事典だ。彼はソファーの上に乗り、やっとの思いで手に取る。絨毯の上にあぐらをかき、重い表紙を開く。“野生の動物”のページは何度も見た。百獣の王、ライオンのたてがみはオスにしかないらしい。次に“人体の神秘”というページを開く。男性の裸の絵の上には透明なフィルムが重なるようになっており、内臓や血管、筋肉などがぎっしりと描かれていた。人間の皮膚の下には、まったく別の世界が存在していた。家族の悲鳴にも似た笑い声が聞こえてくる。初めて会う他人のように感じた、家族も自分も。

44

わたしはアシスタント。

エレヴェーターよりも階段の方が早いわ、と目で合図をおくったボスは、待ち人の列からはずれ薄暗い階段を登りだした。彼女も後に続く。安全ピンくらい細いヒールはボスのくるぶしを支え、階段を上がるたびにアキレス腱がくっきりと浮かびあがる。この後のミーティングが大荒れになることは、容易に想像できた。女性ふたりのヒールの音が揃って響きだしたから、彼女はわざとタイミングをずらした。今はアシスタントだけれど、このボスよりももっとしなやかに、もっとチャーミングに輝く日がくることを彼女は知っている。遠くでサイレンが鳴っている。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com