女優のトロフィー。
彼女が主演女優賞に選出されたことは、内密に本人に知らされていた。誰もが大女優のRがとるものだと確信していたので、赤絨毯の当日は世間が荒れ果てることが予想されていた。というわけで、この1ヶ月ものあいだ彼女は授賞式のための演技を磨いた。壇上から名前を呼ばれた瞬間の動揺、椅子から立ち上がった時の困惑、プロデューサーに手を引かれながらよろよろと壇上にあがる時は、まだ涙は見せない。トロフィーを渡された時に初めて、大粒の涙があふれだす。スピーチの出だしは、しどろもどろで思わず手を差し伸べたくなる頼りなさを、といった演技プラン。その日の衣装も考え抜かれて仕立てたものだ。若い彼女にしては、大人しいごくシンプルな黒いドレス。しかし一歩でも歩くと、腰まで切れ上がったスリットから拝みたくなるような美しい脚がのぞき、まぶしいコントラストを生みだすものだった。さて、いよいよ当日がやってきた。大女優Rは、大輪の花のような真紅のドレスを纏っている。引っ張った顔の皮膚と、広くあいた胸元の自然な皺がアンバランスをおこしている、と彼女は思った。司会者が名前を呼んだ瞬間から、彼女の芝居はスタートした。大女優Rを差し抜き、強運と美貌に恵まれた、駆け出しの新人に集まる嫉妬と羨望。スポットライトが彼女を捉えて離さない。順調に演技をこなして壇上にあがる。そして光り輝くトロフィーを手にした瞬間、彼女はそこに映る自分の顔に固まってしまう。トロフィーの中にいる彼女は純真無垢のかけらもない、どす黒い野心とおごり高ぶった卑しい女の顔だった。彼女は自分自身の演技にNGをだすよりなかった。もちろん予定していた涙も出なかった。(そして彼女はトロフィーを返し受賞を辞退した。女優のプライドだった) fin
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。