116

7293番地の角を曲がったら。

まっすぐに歩いていくつもりが、次の角を曲がってみたくなる。このまままっすぐ行けば、安心な場所に到着するはずなのに、どうしてもあの角を曲がってみたくなる。こころが身体に勝って、7293番地の角を曲がってしまった。

まるで見たことのないセカイ。胸の真ん中あたりがドクドク波打つ。自分の居場所なんてどこにも見当たらない。すべての感覚が立ち上がってくる。ヒリヒリと痛みを感じつつも、この体験が自分に必要であることだけはわかった。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

115

デリを買ってかえろう。

今夜は何食べる。何作る。それともどこかで食べて帰る。ううん、なんだか今日はイエ気分。賛成。生ハムなんて買ってみる。たしか冷蔵庫に白ワインあったはず。うわぁ急にお腹すいてきた。サーモンとブロッコリーのマリネもいいね。コロンとしたクリームコロッケもおいしそう。ローストビーフをちょこっと買おうか。黄色いカラシをつけて食べようよ。ついでにお花も買って帰ろうか。いいね。可愛いピンクのお花がいいな。(彼女は本日3人の男性から夕食を誘われたがすべて丁重に断った。なぜなら彼女はひとりで夕食を楽しむ才能があったから。)

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

114

サンドレスの準備。

太陽がじっくりと焼いた砂浜を、裸足で確かめてみる。アチッ!と右足の裏側が悲鳴をあげたから、今度は左足の裏側をくっつけてみると、やっぱりアチッ!となるわけで。すると、右足、左足、と交互にアチッ!アチッ!となるうちに、彼女は海に向かってほとんど走り出していた。意味もなく大笑い。(頭の部品が飛んじゃった)波打ち際に足を浸すと思いのほか冷たくて、ふぅー。めりめりと砂の中に埋もれながら、海と同じ呼吸になれた。準備してきたパイナップル柄のサンドレスは、ディナーの時に着るつもり。「あ、あたしいま、悩みゴトがいっこもない」彼女は自分のおめでたさに感謝した。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

113

よりみちソーダ。

家へ帰りたくない病の娘はソーダ水を飲みにきた。そして娘はソーダの泡の中に入り込むことに成功した。パチパチとはじく透明の泡を何個もくぐり抜けて、ぷかんとソーダの海に浮いてみる。上を見ると旅客機が飛んでいて、窓に張り付いている坊やと目があう。お互いにピースサイン。なぜなら坊やもソーダ水を手にしていたから。あぁなんて素敵なよりみち。このままもっと遠くまで泳いでみようかと、考える。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

112

ロックなルックス。

カウンターの中にいるマーシャルのロゴ入りティーシャツの彼女は、自分が一番魅力的に見えるサイズを熟知しているらしかった。まるで身体のラインが浮き彫りになっている。ライブハウスはいつだって大音量なので、お客は大声で叫ばないとアルコールを注文できない。マーシャルの彼女は目をあわせて頷くと、手際よく注文通りのものを作っていく。

照明がレッドに変わった。鈍いベース音が肚の底に直接伝わってくる。マーシャルの彼女はカウンターを軽やかに飛び越して、ぎゅうぎゅう詰め客の波をかき分け、ステージのうえに駆け上がった。白い照明は彼女だけに明るく降り注いだ。ゆっくりと銀色のギターを抱えると、Eマイナー7をかき鳴らす。(私が私でいられる場所はここ)オーディエンスの森は大きく揺れる。彼女は自分という材料を使って、人を惹きつける技を熟知していた。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

1
TOP
CLOSE

電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com