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僕が僕に人見知り。

親戚のおばさんが家にやってきた。ママはおばさんと楽しそうにおしゃべりしている。僕はだまってオレンジジュースを飲んでいる。「夕飯、食べていってくださいね」と、ママは台所へ消えてしまった。僕とおばさんは二人きりになってしまった。おばさんはテーブルに肘をついて、僕のことをじーっと見ている。「大きくなったわねぇ」と目を細めている。僕は足をぶらぶら揺らしながら、両手で握ったコップの中をのぞいている。オレンジジュースが波みたいに動いている。大きくなったって言われても、僕は普通に生きてるわけで。

親戚のおばさんは僕から目をそらそうとしない。こころの中がぞわんぞわんとしてくる。僕はおせんべいを一枚、手にとってみる。しんとした空気を壊したくて、バリバリバリと勢いよくおせんべいをかじってみる。おばさんは僕の食べっぷりを見て笑う。「ほんと大きくなったわねぇ」。僕は逃げ出したくなって「ママー指が痛いよぉー」と嘘をついてその場から離れた。

外へ遊びに行こうか。でも真っ赤な夕日はちょっとしか残っていなくて、暗い夜がじわじわと占領している。ママは台所で天ぷらを揚げている。おばさんのもとへ帰るはいやだ。おばさんのことは嫌いじゃない。でもおばさんと一緒にいる僕は、見ず知らずのまったく別の人間になってしまうんだ。大きな風が吹いて家じゅうの窓が悲鳴をあげる。僕は玄関の冷たい廊下に立っている。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

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おはよう、おめでとう。

パチと目覚めても、

ドロッと目覚めても、

ボワーと目覚めても、

朝、目が覚めたということは、

おめでたい。

それだけで、おめでたい。

可能性のかたまり、おはよう。

何を見て何を感じるかは、

じぶんにかかっている。

ご自由にどうぞ!と太陽がいっている。

ベッドから足をおろす。

最初の一歩からはじめられる。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

152

ディスカッションにピンチョスを。

本質的なところからずいぶん遠い街へきてしまったような、そんな空気をカットアウトするには。話を必死に戻そうと努力してはいけない。サラサラと書類をめくる音を披露しても、椅子をゆらゆらと不安定に揺らしても、何の解決もしない。グレーのワンピースに黒いエナメルのパンプスを履いた秘書が、銀色のワゴンをひきながら登場したのは、絶妙なタイミングだった。赤と緑のプチトマトにクリームチーズ。オイルサーディンにアボカド。ブラックオリーブに生ハム。ピンチョスの花畑が、会議をつかさどる。さっきからダンマリだったツイードのジャケットの彼が、ピンチョスの3層構造からヒントを得て、ディスカッションはたったの20分でしあわせな終わりかたをしたのであった。からっぽの会議室。皿の上には数枚のレモンスライスとパセリだけが残っている。高層ビルの間を、個人が操縦するヘリコプターがスイスイとくぐり抜ける。ドアの隙間から忍び込んだ銀色の猫は、テーブルに飛び乗る。皿の上の残り物に興味を示すものの、好みじゃないことがわかりそっぽを向く。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

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旅するタンポポ。

「タンポポ、欲しいなぁ。部屋にあればいいのに。」彼女がほとんどミルク色をしたミルクティーをひとくち飲んでささやいたものだから、彼はまだ薄ら寒い春の午後、裸足のままスニーカーをつっかけながら部屋から飛び出してしまった。彼にはタンポポが咲いている場所に記憶があった。それは駅へ向かう途中、裏道に入ったところだ。(あった!)タンポポは気持ちよさそうに目をとじて、太陽のやわらかなヒカリを浴びていた。彼は黄色いタンポポの花を1本と、白い綿毛のタンポポを2本を、そっと地面から抜き取った。こころの中で(ごめんよー)と謝りながら。きっと彼女が欲しがっているタンポポは、白い綿毛の方だということはわかっていた。なぜなら繊細で掴みどころのないところが、彼女にそっくりだから。そこが彼を一番悩ませる性格であり、もっとも惹かれる部分でもあったのだ。彼はタンポポを抱えて走り出す。彼女の驚いた&嬉しそうな顔がもうすぐ見られる。ふたりの白いアパートメントが見えてきたその時、冷たい春風がひゅーっと吹いた。まぁるい綿毛はひとつひとつの小さなパラシュートに分かれて、申し合わせたように上へ上へと舞いあがっていく。彼は思わず手を伸ばしてつかもうとするが、ひとつ残らずすり抜けていく。青く澄みきった空に、昼間の星のようにまたたいている。彼はただただその光景の中に佇んでいる。

 

*「電車は遅れておりますが」 は毎週火曜日に更新しています。

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com