波の延長上にある風景。
海からあがった後はいつもそうなのだ。あるはずもない水の抵抗を感じながら歩いている。生あたたかい風に背中を押されて、木のドアをあける。カウンターには、艶のある髪を横分けにした男と、赤いサマードレスを着たマッシュルームカットの女が座っている。他に客はいない。バーテンダーが振るシェーカーだけが鳴っている。
恋人たちは何も語らない。時おり女がひざの上に抱いたぬいぐるみを「見て」と男に目配せしては、にこりと微笑み合うだけだった。女はぬいぐるみ、という年齢はもちろんとうに過ぎていた。ピンボール台のガラス面は、夕陽のオレンジ色で染まっている。
完璧に敷き詰められたふたりの空気に、ひび割れをつくってしまうのはわかっていたが、僕はアルコールを注文した。恋人たちは催眠術から覚めたように顔を上げて、ぼんやりとカウンターの中を眺めている。