86

地球の裏側の恋人と待ち合わせ。

Tokyo時間の20時ぴったり。

ふたりの画面には”メリークリスマス!”のメッセージ。

彼女は地下鉄のベンチの上。

彼は起きぬけのシーツの上。

彼女は缶のミルクティー。

彼は冷蔵庫から出してきたジンジャーエール。

ごくりと飲みものをのみこんで、

ハクション!

恋人たちはそれから何十年も愛しあい続けたが、

乾杯の後まるで同時にくしゃみをしたことは、

一生知らないままだった。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

85

僕が知らない彼女。

彼は母親からおつかいを頼まれるのが好きだ。自転車でこっそりと遠回りをして、あのこの家の前を通って帰れるから。

教室の窓ぎわに座って、ぼんやり外を眺めている彼女。ゆっくりと本のページをめくる彼女。友達のジョークに目を細めて笑っている彼女。そのすべてが謎めいていて魅力があった。自分とはかけ離れた、星の住人のような気がするのだった。

おつかいの帰り道、自転車のハンドルを握る彼の手は冷たく固まっている。でも彼女の家の屋根が見えてくると、胸の真ん中あたりがドクンドクンと熱く沸いてくる。彼は大きな木の陰に自転車を止めて、2階の窓を見上げてみる。しんと静まり返っている。この家で彼女は眠ったり、髪をとかしたり、ごはんを食べたりしているのだ。

「おばあちゃーん!私もー!」家の中から聞こえてきたのは彼女の声だった。学校で聞く声とは別人のように活発で、どこかユーモラスでさえあった。彼はペダルを強く踏み込み、逃げるように自転車を走らせる。誰も知らない、もうひとりの彼女を知った気がした。罪悪感と親近感と後悔がごちゃまぜになった。自転車のカゴに入った牛乳が大きく波打っている。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

84

宇宙までベーグル8個分。

ブーンと唸る電子音が子守唄。

落っこちそうになるブランケットを首まで持ち上げて。

ゆっくりと木星の裏側を通過中。

 

恋人とのおしゃべりが素晴らしすぎて疲れてしまって。

私はそっと眠ったふりをしている。

 

宇宙旅行は始まったばかり。

お互いの魅力は小出しにしないともったいない。

 

お友達にあずけてきた猫はとても小さい。

今ごろ私と同じポーズで眠っているはず。

ふわふわと同じ宇宙に吸い込まれていく。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

83

銀色のパーティー。

マリィがラウンジにあらわれると、一瞬で空気の色合いが変わる。美女たちは“マリィなんて興味ない”というポーズを崩さないまま、黒目の端っこで0.1秒視線をおくる。(そっとマリィを確認する高度なテクニックだ)

銀色に染めたショートヘア、アーモンドのカタチをした大きな瞳。痩せた身体に白い包帯を巻きつけて、氷の塊から削り出したような透明のハイヒールを履いていた。それがマリィのドレスコード。

いつも隣にはニューヨークゴシップの真ん中で華を咲かせている、ハンサムなボーイフレンドを2人か3人たずさえていた。美しさと富を競い合う女性たちの嫉妬と興味が、マリィに集中するのは当然のことだろう。マリィはカクテルに浮かんだ真っ赤なドレンチェリーを口に入れると、ソファーから立ち上がる。

マリィはひとつのパーティーに20分以上居られない、という癖が直らなかった。次の会場、そしてまた次の会場へ。タクシーを拾わなくちゃ。楽しい場所はもっと他にあるはず。マリィが去った後には、必ず銀色の粉が床に落ちていた。マリィは人間ではないのかもしれない、という噂がたちまち広がっていく。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com