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わたしは7ヶ月のおんな。

まだ言葉というものを使えないので会話はできないけれど、わたしはいろんなことがわかっている。抱っこされている時、下から見上げるママの顔。黙っていても、ママがどんな気持ちでいるのか、なんとなくわかる。気分がいいのか、泣きそうなのか、わかる。そして今、バスの一番後ろの席で、ママのいい匂いを感じながら、バスの揺れを楽しんでいる。ママはあめ玉みたいに光るピンクのボタンを押すと、小さくため息をついた。ママがゆっくり立ち上がったとき、わたしは傘が足元に残されていることに気がついた。注意をうながすために「ほぉわーーーん!!」と泣いた。作戦成功。バスから降りると、雨は上がっていた。ヒカリがまぶしくて目があけられない。

38

無口な地球で小さく息をしている。

真夜中に窓をあけると、街は真っ白な雪でコーティングされていた。どうやら地球は一時停止ボタンを押したらしい。人が暮らしている気配が消えた。音も、色も、完璧に消えた。深呼吸してやろうと、腹の底から空気を吸い込もうとしたが、半分のところで止めてしまう。地球の別の顔をうっかり見てしまった“遠慮のようなもの”から、それができなかったのだ。さっき淹れたブラックコーヒーの香りだけが、生活者としてのリアルを保っている。しんとした地球に、間借りさせてもらっている自分が、ただ佇んでいる。

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スパゲッティがトンネルに入るとき。

手の中にずんと重みを覚えるシルバーのフォークに、スパゲッティを巻きつけている。オリーブオイルで“てらん”と輝いている麺には、バジルのみじん切りが細かく張りついている。フォークを時計まわりに回転させ、皿から少しずつ浮かせていくと、口に入らないくらいまで麺を集めてしまった。次は反省して2、3本の麺を集めようとすると、麺は “ぷるり”と逃げていく。まるで、真っ暗な、トンネルのような口の中に入るのを嫌がるように。そしてようやく、いい具合に麺を巻きつけたとき、ドアの呼び鈴が鳴った。インターフォンの画面には、昔別れた彼女が映っていた。(その後、彼はスパゲッティを食べたでしょうか?)

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なんとなく、は、えらい。

彼女は“なんとなく”をわりに認めている。だから、いつもの帰り道じゃなくて、なんとなく右へ曲がりたくなったから、素直にそれに従う。なんとなくケータイを見ると、22:22。ゾロ目。あれ、少しうれしい。なんとなくコンビニに立ち寄ると、子供の頃食べていた菓子パンの復刻版を発見。もちろん買う。なんとなく月を見ると、いつもより明るいような気がした。なんとなく、いいことありそ、とおもった。

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とりあえず走ってみた。

訳もなく彼女が走り出したのは、空が真っ青だった、とかもあるかもしれない。最初は歩いていたのに、早足というより、気がついたらほとんど走っている、になっていた。風がおこり、息がはずみ、風景が動いた。犬とじゃれ合う子供の声や、スケートボードのガラガラという音も、スピードをあげて通り過ぎていく。空気と身体が摩擦して、いまの自分がくっきりと浮かび上がった。走るからわかることもある。けっこういま、自分はしあわせなんだって、彼女は感じた。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com