大学の授業も退屈だったし、お小遣いも欲しかったし、彼女にはこの風変わりなアルバイトを断る理由が見つからなかった。仕事とは百貨店のショーウインドウの中で、1日を過ごすこと。たとえば、朝は黒いキャミソールで新聞を広げ、カフェオレを飲む。昼間は赤いエナメルのジャンプスーツで、ハムサンドをほおばる。(なぜかテニスルックを着せられたこともあった)夜は背中があいた総レースのドレスで、ブルーのカクテルをすする。(カクテルがより美しく光るように、グラスに豆電球を仕込まれた)透明なガラスの外側には、いつも人だかりができた。
彼女は思う。これは自分の天職だと。人目が気にならない。いや、むしろ人から見られている方が、リラックスできるのだ。水の飲み方が可愛い、身体がものすごく柔らかい(ヨガのポーズもした)、眠っている顔が天使。噂が噂を呼んで、世界中の人々はショーウインドウで暮らす彼女を見に来た。
ある朝、事件は起こった。彼女がベッドから起き上がってこない。やっと白い毛布が動いたとおもったら、中から出てきたのはミルクティー色の猫だった。ベッドの中はからっぽ。彼女は人間ではなく猫だったのか。「カット!うーん、黒猫の方がいいなぁ。黒猫、借りてきて!」人だかり要員のエキストラ達は、こころの中で41回目のため息をついた。映画監督のこだわりは、どこまでも続くのであった。Fin
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。