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日用品は私のオーケストラ。

彼女の部屋をそのまま美術館で再現したら、意外と前衛的なアートになるかもしれない。そんなシニカルな考えは彼女自身から浮かんだ。

歯磨きペーストはペラペラに痩せているし、石鹸もあめ玉の最後の方みたいな姿だし、ティッシュペーパーは底をつき、駅でもらったポケットティッシュが何個も転がっている。コーンフレークの四角い箱を振ってもカスカスの音しかしないし、残り少ないマヨネーズは冷蔵庫の中で“おじぎ”をしている。

彼女は伸びすぎた前髪をすくって、ピンクのゴムで高めのポニーテールをつくった。「よし、買い物にいく」家の中の終わりかけたものたちと決別して、ピカピカなエネルギーをもった新品たちを迎えるんだ。自分のこころの中がこの部屋の風景をつくっていることを、もちろん彼女は知っていた。

外はもう暗くて肌寒くて、会社帰りのサラリーマンたちは無表情だった。ポケットに財布だけを入れた彼女は、スーパーマーケットの白いヒカリを見つけた。きっと日用品が彼女を盛り立ててくれる。たっぷりとあたたかな音色を放つ楽器のように。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

 

72

ラクトアイスを聴いたことあるかい。

気が変になってくるリズム感。音程がひっくり返る歌声。いつもへの字口の愛想のなさ。平均年齢18.7歳の女子で結成されたロックバンド“ラクトアイス”。

ある音楽評論家は「世界最悪級のおぞましいフェイク」と評し、またあるミュージシャンは「ビーチ・ボーイズのコピーを演るなんて1万年早い」と噛んでいるガムを床に投げつけた。悪評に反比例して“ラクトアイス”のレコードは飛ぶように売れ、ワールドツアーのチケットは秒速でなくなった。

ヴォーカルのリリィは、ローリング・ストーン誌の表紙の撮影中だ。栗色の髪をツインテールにして、アイスクリームになりきれない“ラクトアイス”でできた水色のアイスバーを舐めている。カールしたまつげはスタジオの屋根を突き破り、太陽と握手ができるくらい長かった。

カメラマンはできるだけおバカな女のコを撮りたいようだった。最大のヒット曲にあわせてリリィは腰を振って踊り出した。世界じゅうのラクトアイスマニアとラクトアイスアンチの大好物くらい、リリィは1万年前から知っているのだ。

(なぁんにも考えてないフリするの、得意なの)

ラクトアイスは消費されない。消費させられていたのは彼らだった。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

71

低血圧な午後のブルース。

人生のモラトリアム期間であり、大人の男になるための訓練であり、ひとの痛みを知るための1ページを、いま僕は過ごしている。

早く言ってしまえば、大学浪人をしている。何度目かの台風が過ぎて、夏が陰りをみせた予備校は、いつにも増して眠かった。(講師の声はいつにも増して大きかった)

3列前の左斜めに座っている女のコに目がいった。濃いオリーブ色の薄手のセーターを着ている。まだ誰もが“色あせた夏”に未練を残している中、彼女はふっと別の空気をまとっていた。セーターは繊細な彼女を繭(まゆ)のように用心深く包み込んで、下界のくすんだ空気に触れないようにしているようだった。

ショートボブの襟足からつながる細っそりした首のラインが「もう秋だよ」と、自分だけにささやいた、気がした。

 

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

70

パジャマでディナーが彼女の作法。

毛布とパジャマは、波と砂浜の関係。

ちょうど中間地点に、ディナーのトレイが乗っている。

赤ワインをこぼさないように、そっと。

 

今夜は夏の終わりと、秋の始まりの関係。

言い残したことを置き去りにするか、次へ持っていくか考えてる。

 

半分起きてるけど、半分寝てる。

冷たいバターをクラッカーに浮かべて、

波打ち際のどっちに引きずられるか、楽しんでる。

 

はっきりさせないことは、ひとつの自由。

昔飼ってた猫の、プロポーションのように。

あいまいで、しなやかで、やわらかな。

 

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com