131

ある喫茶店のある会話。

よく喋る男と、まったく喋らない女が、向かい合って座っている。よく喋る男はますます喋りの熱が上がり、まったく喋らない女は相変わらず黙り込んでいる。男は身振り手振りも大きくなり、踊り出すほどだった。女がひとこと、言葉を発した。男は口を閉じ、目を見開き、頰を紅潮させ、噛みしめるようにうつむいた。女のひとことは男の話を止めた、というより、男の気持ちを落ち着かせたらしかった。話の内容はさだかではないが、そういうことらしかった。ふたりは冷めたブラックコーヒーを飲んだ。ふたりは店を出て手をつないだ。そして区役所に向かった。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

130

黒いタートルネックの女。

黒いタートルネックの女は、首も肩も胴も細い。薄いシルエットが浮き彫りになっている。黒いタートルネックの女は、ほの暗いバーのカウンターに座っている。少しの振動でも割れてしまいそうなカクテルグラスを、チェリーピンクに染まった唇にあてる。

黒いタートルネックの女は、自分の部屋の様子を細部まで想い起こしている。椅子の背もたれにかかったタオル、飲み残しのコーヒーカップ、シーツの皺、ピスタチオの殻、床に散らばったレコード。さっきまで一緒だった男とつくりあげた部屋の気配を想い起こしている。それらの気配を1ミリも壊したくなくて、ひとりでバーに来た。男とつくりあげた気配は、どんなアートより芸術的で魅惑的なものだった。

黒いタートルネックの女は、カウンターごしのバーキーパーに尋ねた。「頭の中にある風景を、ずっとそのまま記憶できる魔法のカクテルはないかしら」バーキーパーはゆっくりと頷いた。目の前に届いたのは、星のように細かく砕いた氷が泳ぐ、透明に輝く美しいカクテルだった。(これは…) 黒いタートルネックの女の喉におちていく液体は、紛れもなく氷水だった。バーキーパーはひとこと添えた。「夢から覚めてください」fin

 

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129

大人の反抗期。

人混みを歩かない/郵便物をあけない/聞こえないふりをする/傘をささない/コーヒーを10杯以上飲む/買い物をしない/電話に出ない/ロードショーが終わってしまうのに映画館に行かない/すぐにテレビを消す/お世辞の言い方を忘れた/お金がないのに銀行に行かない/床が冷たくても靴下を履かない/夏休みをとらない/夜中にハムエッグを食べる/ブルーベリージャムを壁にぶちまける夢をみる

 

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128

服がない、服がない、服がない。

雨上がりの街で僕は服を探し歩いている。4軒もの店をハシゴしたけれど、試着まで行きつく服には出会えなかった。自宅のクローゼットをひらいても、着る服がない。街じゅうの服を見て歩いても、着る服がない。(これはもしかして自分に問題があるのだろうか)そんな気弱な発想が、疲労感いっぱいの身体に染み込んでいく。

最後の希望をかけて、5軒目の店に足を踏み入れる。こうなったらもう人頼みだ。店内を見渡し、一番綺麗な顔立ちで一番気立ての良さそうな女性スタッフを見つけて声をかける。「今の季節にいい、セーターとパンツを探しているんです。」女性は口角を少し上げ「かしこまりました」と答えると、店の奥に進んだ。

いくつかの候補の中から、あっけないほどスムーズに服が決まった。大きな鏡の前にたった僕は、濃紺のカシミヤのセーターと、煉瓦色のコーディュロイパンツを身につけていた。サイズも着心地も雰囲気も見事にフィットしている。女性は「お似合いですね」と、また口角を上げて微笑んだ。「明日、大切な用事があるんです。いい服が見つかってよかった。」僕は女性にお礼を告げた。

服が入った包みを両手で僕に手渡すと、女性は出口の方へ促した。「私の両親好みの服を選びました。」僕のプロポーズを承諾してくれた目の前の女性は、いたずらっぽい目でささやいた。「じゃ、明日ね。」結婚する前から、僕は彼女にコントロールされているのかもしれない。

 

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127

ポーカーフェイスと秋の入り口。

僕たちは秋が濃くなっていく道を歩いている。彼女は制服の上にカーディガンをはおっている。あずき色とからし色の落ち葉が、じゃれ合いながら風に飛ばされていく。さっきは喫茶店で彼女のココアをひと口もらった。飲んでみて、の言葉どおりに、素直に。カップを持つ手が震えないように、用心深く飲んだ。

夕暮れの空に、信号機の青がまばたきをはじめる。こんな時は素早く渡った方がいいのかな、なんてことを考えていると。彼女は歩く速度をゆるめていき、横断歩道の前でぴたりと足を止める。一緒にいられる時間が何秒かのびだ。彼女の横顔は相変わらずポーカーフェイスだったけれど、うれしかった。

 

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126

ピーナッツバターの夜。

元受験生のみんな。元思春期のみんな。G.ジョージです。ラジオをチューニングしてくれてありがとう。大人になりきれない大人へ「ピーナッツバターの夜」。今夜はお便りを読みます。ミカンさんのお悩みです。えーっと。“私は10月が嫌いです。昨日まで半袖を着ていたのに、あと2ヶ月ちょっとでゆく年くる年になってしまうなんて、とても気持ちがついていけません(泣)“うーんわかるなぁ。実は僕も一緒。この一年、何したっけかなぁってね。でもねミカンさん!僕は言いたい。あと2ヶ月間、流されて生きましょう!ただただ流されて生きるんです。チカラを抜くとすーっと流れますから。流されるとね、いいことあるんです。自分の想像をこえた、面白い展開が待っていたりするんです。ミカンさんに曲をプレゼントします。ザ・ビーチ・ボーイズの「ディズニー・ガールズ」。一緒にのん気に流されましょう。

 

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125

23時15分にあの柱の陰で。

白いエナメルのブーツに脚を入れ、ジッパーを上まで引き上げる。白いファーのコートをふわりと着込むと、彼女は鏡の前まで歩いた。マスカラの調子も上々、くちびるは透明のグロスだけにして正解だった。ターンテーブルに乗ったレコードはぷつりぷつりと“終わり”を告げているし、白い猫は白いソファーで眠りについている。すべてが上手くいっている。彼女は部屋の鍵をつかみとり、そっとドアを閉める。あと9分で約束の時間。地球上でふたりしか知らない待ち合わせ場所。都会とは思えない真っ暗な道を、早足で歩く。夜の空気は液体のようにとろりとしている。

 

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124

ピザの決断。

水色のフードトラックには長い行列ができている。彼はその一番後ろに並ぶ。太陽が真上から降り注いでいる。海はまだ見えない。日焼けした指先は、ポケットの中の小銭をジャラジャラと鳴らしている。空腹を示すメーターがもうほとんどゼロに近い。フードトラックのピザは4種類。大きな一切れサイズだ。彼はこころの中で「ソーセージ&ベーコンを1枚と、オニオン&マッシュルームを1枚ください」を繰り返している。自分なりの正統派でいこうとおもう。だんだんとそのセリフを告げる瞬間が近づいてくる。ついに彼の前に立つロングヘア男がオーダーする。「シーフードを1枚と、アンチョビ&ガーリックを1枚」彼の決心は大きく揺らぐ。ロングヘアの言い回しが、彼の胃袋を刺激する。なんて美味しそうなんだ。あっさりと決心を覆してしまいそうな自分に驚く。あと数秒で決めなければ。次の瞬間、口がどう開くか。彼さえもわからない。

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123

こころのグラデーション。

夕暮れが夜に溶けこんでいく帰り道。なまあたたかい空気に、少しだけ秋が混じってる。彼女のトートバッグには、さっき買った1.4ミリのスパゲッティ。持ち帰った書類。なくなりそうな口紅。そして、ほぼ、からっぽのこころ。夏がおわりに近づくにつれて、彼の声も聞こえなくなっていった。グラデーションのように、だんだんと。無邪気に電話してみようか。元気?って。彼女はこころのなかで、何度も彼と会話をしてみる。でも、はずむような、たっぷりとヒカリを含んだ声はもうだせない。たった数週間で、彼女は別人になってしまった。夜に染まった空に、黄色い月をみつける。彼女はまだ、夏の階段の踊り場に立っている。

 

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スクリーンテスト。

娘はハリウッドに歩いてやってきた。夜空の星を齧り、太陽を舌でころがしながら。人をメロメロにする技術をポケットに入れて。そしてあっけなく大物プロデューサーと出会う。「スクリーンテストをしよう」スタジオはひんやりとしていた。3台のキャメラは彼女をとらえる。なんの演技もするな、というルール。顔と身体の骨格をみるのが目的らしい。キャメラがぐっと近づいてくる。彼女は睨みつける。そして左目に涙の玉が膨れ上がると、透明に輝きながら頰の上をツーっと滑っていく。なんの演技もしないなんて、彼女にはできなかった。そうしないと数分のスクリーンテストが、退屈でたまらなかったから。fin

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com