345

バレンタイントリップ。

チョコレートの海でおぼれそうになったKは、やっとの思いで岩までたどり着いた。しかし、チョコレートの波は次々におしよせてくる。モテすぎるKは「好きです」の甘ったるい告白に疲れ果てて、もうこれ以上泳げない。あぁもうだめだ…。と、その時、大きな船が近づいてきた。ビターチョコレートでできた黒い船だった。「乗りな」クールビューティーな彼女は知らないひとだったけれど、Kは藁をもつかむ気持ちで乗り込む。船は風をきって大空に進む。クールビューティーの横顔はまぶしかった。ふたりは同じ方向を向いていた。Kはやっと居場所を見つけた。このままどこまでも行ける気がした。二羽のカモメは新しいカップルの誕生を祝うように、じゃれあって歌いながら飛んでいく。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

344

なんとかなるに鐘は鳴る。

色合わせがむずかしくても、一目惚れのバッグを買う/夕飯が近いのに、大きなドーナツを食べる/明日は試験なのに、もう寝てしまう/肌が弱いのに、真っ黒に焼いてしまう/次が決まってないのに、とりあえず会社を辞める/雨に気がついても、傘を取りに戻らない/フラれるのがわかっていても、まっすぐに告白してみる/ダンドリよりも、ホンノウを!

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

343

小鳥からの伝言。

くちの中でとけていくキャンディのように、時間を転がしていけばかなしみも小さくなっていくよ。顔を洗って、ごはんを食べて、ふとんの中で夢をみる。誰かに良い報告ができなくても、誰かにとっての栄養になれなくても、まいにち息をしてるだけでじゅうぶん。朝日を浴びてるだけでじゅうぶん。きょうもあなたが生きてるだけで、ありがとう、おめでとう。ある小鳥からの伝言でした。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

342

だいじょうぶのレシピ。

かなしみを温かいミルクでわったら、カフェオレ色のねこになるよ。ふあんに甘い砂糖をまぶしたら、雪の国のお姫さまになるよ。ねむれないにマシュマロをかぶせたら、冬眠中のシロクマになるよ。だいじょうぶがほしいときは、こころのキッチンでクッキング。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

341

軽やかな仕事人。

タートルネックのスウェーターに白いコートを羽織って、カフェスタンドでクロワッサンと濃いめのコーヒー。朝から3件のミーティングをこなし、午後からは重要な取り引きが待っている。彼女の場合、世間でまかり通った常識よりも、自分の「本能と勘」を信じて進むと面白いほど仕事が上手くいく。「本能と勘」が冴えた状態になるためには、メンタルよりもフィジカルを先に整えることが大切。たっぷりと睡眠をとったフレッシュな身体が、こころとあたまを軽やかに動かしていくのだ。気持ちの体幹は、まっすぐ&しなやかに。通りには待ち合わせした相棒(ビジネスパートナー)が見える。手を振ると、相棒も気がついて手を振りかえした。さて、ここ一番の舞台まであと17分。「いってきます!」

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

340

ねこ目線。

何をそんなに恐れてるの?まだ起こってもないのに。/ヘアスタイルが気に入らない?誰もきみのこと気にしてないよ。/お金がないと不安?引退後より今を楽しんだら。/あの時の言葉が許せない?言った本人は完全に忘れてるよ。/映画を観る暇がない?だったら空を見てみよう。/何かを忘れてる気がする?忘れたままにしておこう。/人生を複雑にしちゃってる人間に捧ぐ。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

339

サイレントナイト。

子どもたちは枕もとを楽しみに夢の中へ。工場で働く学生たちはコカ・コーラで乾杯。新婚の夫婦はチキングリルをちょっとだけ焦がし、大家族はホワイトシチューで舌を火傷した。海外出張に向かうビジネスパーソンは、飛行機から見える星空に夢中。そして彼女は、凍える指先で玄関のドアをあける。何通かの郵便物をばさりとテーブルに置く。手書きの封筒が混じっている。送り主は3年前に別れた恋人だった。「メリークリスマス!」と書いてあった。彼女はちいさく「メリークリスマス」とささやいた。胸の一番奥に、あたたかなキャンドルが灯った。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

338

おろかなインタヴュー。

空港の一角がインタヴュー会場となっていた。たくさんのマイクが、機関銃のように二十歳になったばかりの女優に向けられる。「なぜ助演女優賞を辞退したのですか?」「監督と折り合いが悪かったのは本当ですか?」「共演者とのロマンスが噂されていますよ!」女優はただ黙っているだけなのに、透けてしまいそうな端正な肌と、絶望的に美しいオニキスのような黒い瞳が、人を小馬鹿にしているかのように映ってしまう。相手の劣等感や嫉妬心を、盛大に煽ってしまうのであった。女優のエナメルチックな唇が少しだけ動いた。記者たちは口をつぐむ。「私がこれから乗るジェット機には、バスルームがついてるの」まったく質問の答えになっていない。記者たちは再び投げかける。「さすが大女優!飛行機のランクが違いますね」女優ははじめて目を見て答えた。「おろかな質問で身体が汚れたわ。全部洗い流します」女優はゆっくりと歩き出した。カメラマンたちは一瞬仕事を忘れたが、完璧な後ろ姿にシャッターを切った。何枚も、何枚も。

fin

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新されています。

337

インスピレーションツアー。

行くあても決めずに家を出る。右に行くか左に行くか、その瞬間感じるままに。ぐんぐん進むと冷たい風が一本。何を想う。何も想わない。それも勝手。ソフトクリームの看板、ホットドッグの出店が目に映る。ぐぅーっとお腹の空き具合はいかが。(今は空きっ腹が気持ちいい)ぐんぐん進む。地下鉄に乗るか、バスに乗るか、タクシーを止めるか。今日はヘリコプターにする。ビルの屋上からぐんぐん空に上がっていく。TOKYOの街がぐんぐん広がっていく。このまま空の散歩をする。このまま太陽が沈むのを見届ける。このまま星座のひそひそ話に耳をかたむける。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

336

パジャマの栄養。

おふとんかぶってZZZ。お昼になっても起きません。おなかがすいたらビスケットをさくさく、のどが渇いたらぬるいココアをちびりちびり。そうしてふたたび夢の中へもぐります。ハワイで泳いだり、エジプトを散歩したり、パリでダンスをしたり。夢の中ではどこへでもひとっ飛び。ようやく眠るのに飽きてしまったら、パジャマを脱いでシャワータイム。夜風に吹かれながらお月さまに「オハヨ!」。あらまぁ、わたしったら出来たてほやほやになっている。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com