90

ガールフレンドは居眠りちゅう。

昼間の電車はのろのろ運転。

各駅に止まるたび、あくびのようにドアがあく。

僕の左肩に彼女の重みを感じながら、

線路の流れにのってゆらゆら。

あぁひなたの匂いがする。

太陽に照らされた髪の毛がきらきら光ってる。

僕も一緒に眠ってしまいたいけれど、

何かもったいない気がして。

まだ手をつなぐ勇気がなかった僕より、

居眠りしてしまう彼女はなんてかっこいいんだ。

1両だけの電車は僕たちだけ。ありがとう。

彼女が起きたら“おはよう”って言おう。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

89

グラタンを待つあいだに。

ヘルシンキ行きの航空券をとって、

ネイルサロンの予約をして、

ミーティングのリスケをして、

目薬をさして、

甥っ子の誕生日プレゼント考えて、

マスカラの調子を鏡で確認して、

化粧ポーチの中を整理して、

ボーイフレンドにサヨナラ!のメールを送った。

私は冷たい?

いや、私は仕事が早いだけ。

いや、私は自由が好きなだけ。

(ウイ!)

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

88

不機嫌顔のデート服。

うちは「まかないテーラー」。ありあわせの材料で、ささっと洋服をこしらえる小さなテーラー。私がホットミルクをフーフーしてた時、呼び鈴が鳴ったの。「初デートに着ていく服をつくって欲しい」。訪ねてきた娘の口はへの字に曲がって、声はちいさく震えていたわ。

そうだ、キャラメルの包み紙をとっておいたのよ。こころが透けるワンピースをつくりましょう。不機嫌顔に眠ってる、あなたの“ おちゃめ“が伝わるように。ザーザーとミシンを動かすオト、んーんー♫の鼻歌も一緒に糸にからませて。

はい、できあがり。不機嫌顔の娘は、キャラメルの包み紙でできたワンピースを着た。ふんわりとキャラメルのあまい香りにつつまれて、キュッとむすんだ口がフニャーと溶けて笑顔になった。そうだ、庭に咲いてるお花をわけてあげるわよ。すると、上機嫌顔の娘は「女のコから男のコににお花をプレゼントするって、ちょっといいね」って。まぁ、センスいいわね!(こっちまで上機嫌になってしまうわ)

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87

39秒のメロドラマ。

まさか砂浜を歩くなんておもっていなかったから、彼女はハイヒールを履いてきたことを後悔するにも後悔しようがなかった。気まぐれな男友達は白より白い車のスピードを上げて、おまけにラジオのヴォリュームもマックスまで上げて、「海につき合って」ってと言ったっきり、ずっと黙っているものだから。

風がとても強くて、おまけに寒くて。恋人だったら彼のコートの中に逃げ込むけれど、まさかそんな仲でもないし。ぐんぐん前を歩く男友達は、よろけながら歩く彼女を振り返ることさえ知らない。ブルーグレーの海と、ダークグレーの空の、淡いコントラスト。鈍い音を立てて旅客機が登っていく。男友達は立ち止まり振り返る。ふたりのあいだのバランスが崩れた、瞬間だった。

 

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86

地球の裏側の恋人と待ち合わせ。

Tokyo時間の20時ぴったり。

ふたりの画面には”メリークリスマス!”のメッセージ。

彼女は地下鉄のベンチの上。

彼は起きぬけのシーツの上。

彼女は缶のミルクティー。

彼は冷蔵庫から出してきたジンジャーエール。

ごくりと飲みものをのみこんで、

ハクション!

恋人たちはそれから何十年も愛しあい続けたが、

乾杯の後まるで同時にくしゃみをしたことは、

一生知らないままだった。

 

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85

僕が知らない彼女。

彼は母親からおつかいを頼まれるのが好きだ。自転車でこっそりと遠回りをして、あのこの家の前を通って帰れるから。

教室の窓ぎわに座って、ぼんやり外を眺めている彼女。ゆっくりと本のページをめくる彼女。友達のジョークに目を細めて笑っている彼女。そのすべてが謎めいていて魅力があった。自分とはかけ離れた、星の住人のような気がするのだった。

おつかいの帰り道、自転車のハンドルを握る彼の手は冷たく固まっている。でも彼女の家の屋根が見えてくると、胸の真ん中あたりがドクンドクンと熱く沸いてくる。彼は大きな木の陰に自転車を止めて、2階の窓を見上げてみる。しんと静まり返っている。この家で彼女は眠ったり、髪をとかしたり、ごはんを食べたりしているのだ。

「おばあちゃーん!私もー!」家の中から聞こえてきたのは彼女の声だった。学校で聞く声とは別人のように活発で、どこかユーモラスでさえあった。彼はペダルを強く踏み込み、逃げるように自転車を走らせる。誰も知らない、もうひとりの彼女を知った気がした。罪悪感と親近感と後悔がごちゃまぜになった。自転車のカゴに入った牛乳が大きく波打っている。

 

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84

宇宙までベーグル8個分。

ブーンと唸る電子音が子守唄。

落っこちそうになるブランケットを首まで持ち上げて。

ゆっくりと木星の裏側を通過中。

 

恋人とのおしゃべりが素晴らしすぎて疲れてしまって。

私はそっと眠ったふりをしている。

 

宇宙旅行は始まったばかり。

お互いの魅力は小出しにしないともったいない。

 

お友達にあずけてきた猫はとても小さい。

今ごろ私と同じポーズで眠っているはず。

ふわふわと同じ宇宙に吸い込まれていく。

 

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83

銀色のパーティー。

マリィがラウンジにあらわれると、一瞬で空気の色合いが変わる。美女たちは“マリィなんて興味ない”というポーズを崩さないまま、黒目の端っこで0.1秒視線をおくる。(そっとマリィを確認する高度なテクニックだ)

銀色に染めたショートヘア、アーモンドのカタチをした大きな瞳。痩せた身体に白い包帯を巻きつけて、氷の塊から削り出したような透明のハイヒールを履いていた。それがマリィのドレスコード。

いつも隣にはニューヨークゴシップの真ん中で華を咲かせている、ハンサムなボーイフレンドを2人か3人たずさえていた。美しさと富を競い合う女性たちの嫉妬と興味が、マリィに集中するのは当然のことだろう。マリィはカクテルに浮かんだ真っ赤なドレンチェリーを口に入れると、ソファーから立ち上がる。

マリィはひとつのパーティーに20分以上居られない、という癖が直らなかった。次の会場、そしてまた次の会場へ。タクシーを拾わなくちゃ。楽しい場所はもっと他にあるはず。マリィが去った後には、必ず銀色の粉が床に落ちていた。マリィは人間ではないのかもしれない、という噂がたちまち広がっていく。

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82

サーカス娘のなみだ。

海沿いに建つ白いサーカス小屋。たなびく旗の色は抜け落ちている。楽団の演奏が力強く響き渡る。今日も大入り満員だ。

楽屋では娘が一人、鏡の前で頬杖をついている。長いまつげは漆黒で、下まぶたには細かい銀色の粉が仕込んであった。金色のゆたかな髪の毛はてっぺんでひとつに結い、明るいブルーの羽が耳元から生えていた。

娘は深いため息をつく。「あぁ、なんて綺麗なの」雪より白い肌は内側から光があふれ、水より澄んだ瞳はどこまでも深みがあった。

自分のあまりの美しさに悲しくなってしまった。いつかは朽ちていくのだろうか。このまま鏡の前に座り続け、1秒もよそ見をせずに見張り続けていたら、にじり寄ってくる老いをはねのけることができるのだろうか。

なみだが目の淵に盛り上がると、すぅーっと頰をつたっていく。なみだはマスカラを道連れに肌に跡をつけて、黒い線がいくつも描かれた。鏡の中の娘は奇妙なピエロの顔になっていた。

 

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81

一冊のノートブックが僕の部屋。

夜の小雨を歩き続けていたら、こころが地面に埋まりそうになる。

ジブンの部品が、もうすぐバラバラになってしまう。

こころが入った身体はとても重い。

きもちの居場所がなくなった。

そして彼は深夜にノートブックを買った。

ジブンと話すことにしたのだ。

そのままの気持ちを書くのだ。

誰にも読まれない長い文章を。

誰にもノックできないノートブックという部屋で。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com