55

皿洗いドリーマー。

彼女はシンクの前に立ち食器の後片づけをはじめた。スポンジに洗剤を含ませギュッと握り締めると、泡は生き物のように成長した。透明のワイングラス、木製のサラダボール、白い磁器の皿を磨く。小さなシャボン玉が、次から次に浮かび上がる。シャボン玉どうしがぶつかりあって、大きなシャボン玉になる。エプロンをした彼女が、プルンと映っている。シャボン玉は、キッチンの天井までいっぱいになった。彼女は食器から手をはなし、その様子を見上げている。

54

野菜を狩りにいく。

喉も身体も水分を欲しがっている。いまはゴクゴクと飲み干す冷たい水ではなく、シャリっと噛みつくと口の中でプシュッと弾ける新鮮な野菜を欲しがっている。彼女はスーパーマーケットに入り、赤いカゴを掴みとった。

最初に目があったのは春キャベツ。やわらかそうな葉っぱは、密やかな夢をくるんでいるようだ。にょっきり芽を出してジャーン!とデビューしたアスパラガスは、アイドルみたい。セロリのフサフサの葉っぱは、オイルでさっと炒めてモリモリ食べてやろう。パンとハリのある元気なニンジンは、ポリポリ片手で味わおう。

BGMが“蛍の光”に変わったことも気づかず、彼女は野菜をカゴに収めていく。目は爛々と輝き、口角は少しだけ上がっている。

53

十三番目の女。

映画監督は傷あと治しクリームの雑誌広告に出ていた女性が誰であるかは知らなかったが、強烈に惹かれるものがあった。彼女はストライプの水着を着てハンモッグに横たわり、作り笑いをしていた。手にはパイナップルが刺さった飲み物を持ち、長い脚のラインに沿うように“去年の傷とはさようなら”というキャッチフレーズがイタリア語のタイポグラフィで描かれていた。彼女の瞳はビー玉みたいに大きく濡れ濡れとしていた。人間離れした魅力があった。映画監督は、動いている彼女をどうしても見てみたくなった。今日のオーディションの目的はひとつ。彼女に会うためだった。ドアが開いた。十三番目に現れた彼女は、ゆっくりと映画監督の前に立った。

 

52

初夏のリズムは少し気だるい。

緑色の風が身体の上を通り過ぎる。何度も読み返している本の活字は、太陽のヒカリでほとんどぼやけている。Tシャツの背中をチクリと刺す芝生が気になるのに、寝返りを打つことさえも面倒だ。さっと起き上がって真っ白なソフトクリームを買いにいきたいけれど、もう行動力というものが残っていない。雲を眺めているとますますソフトクリームが食べたくなるので、しばらく目をとじることにした。

 

51

ミルクティーンエイジャー。

ハンバーガーショップに彼女と来たのは2回目だった。なぜ彼女が自分に“なついて”くるのか、彼にとって謎だった。クラスで一番可愛いけれど、クラスで一番とっつきにくい彼女は、男子のあいだでアイスガール(氷の女のコ)と呼ばれていた。

彼女はフィッシュバーガーにコーラ、ポテトは彼にもわけてくれるらしい。彼はダブルチーズバーガーとコーラをオーダーした。席に着くと、彼はだるそうにコーラをストローで吸い込む。この瞬間が恐怖だった。シュワシュワと喉の内側が焼け野原になっていく。

彼は炭酸が苦手だった。本当はあまいミルクティーが好きだった。黒目の大きな彼女は彼をじっと見た。(この目つきにやられる)もしかして、コーラを無理して飲んでいるのがバレたのでは?と、彼の手のひらは汗ばんでいる。

50

わたしは成熟を知らない。

自己中心的な脳みそがエンプティになるまで考え抜いた結果、わたしは彼の人生をめちゃくちゃにするほど愛していることを告げるため、原宿をすっぴんで歩いている。妙な歌の宣伝カー、売れ残った服、外国人がキャリーバックを引きずる音、透き通ったりんご飴の赤。目の中のカメラでバシャバシャ撮りながら、1秒でもはやく彼のアパートのドアをあけることをだけを願っている。

49

甘えてくださいと、月が言っている。

彼女はわざと先回りしたり、遠回りしたりして、人の気持ちと“いい距離感”をとることが得意だったゆえに、自分の気持ちを後回しにしてしまうクセがあった。「私は大丈夫」って、ずっと自分に我慢をさせていた。そして満員電車からもみくちゃになりながらホームに降りた瞬間に、それは起きた。あれ?目から飛び出した水は涙?一瞬、自分でも分からないくらいだった。地上に出ると、いつもの街がにじんでみえた。「そろそろ甘えてください」と、月がやさしく彼女を照らしていることに、彼女本人はまだ気づいていない。

48

深夜のエアポート・ポートレイト。

空港にはほとんどひと気がなかった。さっきから最終便の案内が、繰り返し聞こえてくる。軽食を食べられるレストランや売店は、どこもシャッターが降りていた。(彼は夕食を食べてこなかったことを少し後悔した)真っ赤な制服を着て、同じ髪形をしたキャビンアテンダントたちが早足で横切っていく。何語かはわからなかったが「今夜何食べる?」と、言い合っている気がした。彼は早く飛行機に乗り込んで、さっさと離陸したいとおもった。異国でゼロから始める自分と、この空港のゆったりしたムードがとてもチグハグな気がしたからだ。足元のコンバースはおろしたてだった。彼は急に気恥ずかしくなった。さっさと汚したいとおもった。

47

夕方のさつまいもは揚げたてだった。

彼女がキッチンから離れないのは、さつまいもの天ぷらを狙っているからだ。白い衣をくぐったさつまいもは、母親の手でゆっくりと温まった油の中に投入される。じゅわじゅわと景気のいい音が弾けだす。彼女はつま先立って、この瞬間を見逃さない。こんがり色になったさつまいもは、新聞紙の上に並べられる。油は汗のように染みていく。彼女はひとつをつまもうとするが、熱すぎて指から離してしまう。姉が塾から帰ってきたようだ。お風呂場からは、勢いよく水をはる音が聞こえてくる。

46

鏡の前からもうデイトは始まっている。

今夜は恋人に会いにいくから、この街に雨を降らせ夕刻から曇り空にする必要があった。雨上がりは自分の肌と睫毛に、たっぷりと艶をつくることを知っているから。そしてその通りになった。(彼女は天候の調整もできるのだ)メイクアップを終えると、スリップ一枚で大きな鏡の前に立つ。待ち合わせたレストランの壁の色は、たしか薄いパープルだった。とすれば、ドレスは真紅よりほとんどホワイトに近いレモンイエローの方が美しく映えそうだ。ふと、初めてのデイトがフラッシュバックする。16歳の彼女は、ギンガムチェックのワンピースだった。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com