
一冊のノートブックが僕の部屋。
夜の小雨を歩き続けていたら、こころが地面に埋まりそうになる。
ジブンの部品が、もうすぐバラバラになってしまう。
こころが入った身体はとても重い。
きもちの居場所がなくなった。
そして彼は深夜にノートブックを買った。
ジブンと話すことにしたのだ。
そのままの気持ちを書くのだ。
誰にも読まれない長い文章を。
誰にもノックできないノートブックという部屋で。
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。
夜の小雨を歩き続けていたら、こころが地面に埋まりそうになる。
ジブンの部品が、もうすぐバラバラになってしまう。
こころが入った身体はとても重い。
きもちの居場所がなくなった。
そして彼は深夜にノートブックを買った。
ジブンと話すことにしたのだ。
そのままの気持ちを書くのだ。
誰にも読まれない長い文章を。
誰にもノックできないノートブックという部屋で。
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。
ハンバーガーショップのラジオからは、スペイン語が聞こえてくる。(学生時代の第二外国語がスペイン語だったからなんとなくわかる)中年女性のパーソナリティと、若い男性のゲストとの会話が繰り広げられている。昼下がりのまったりムード満載、といった感じだ。
中年女性は大爆笑、若い男性はジョークらしきものを連発していく。“僕はモテない。どうしたらいいでしょう?”といった内容らしかった。トークの合間に曲が流れてきた。悲しみにむせび泣くようなトランペットのイントロ、女性ヴォーカルの艶っぽい歌声。たぶん“あなたが朝も夜も忘れられないの”らしき内容だった。
ハンバーガーショップのカウンターの奥から、皿が数枚(たぶん6枚〜10枚くらい)割れた音がした。その瞬間、家の冷蔵庫には卵があと1個くらいしかないことを思い出した。コーヒーの残りを飲み干したら卵を買って帰ろう。
鏡に映った自分の肌がまるで3歳児みたいにピュアだったので/オードトワレひとふりして透明のマスカラ塗ってタクシーでデイトへGo/恋人とマスタード色の街並みに染まったら予定変更/フレンチよりもマスタードたっぷりのハンバーガーを食べに行こう/おなかが満足したら欲しかった涙型のイヤリングが頭に浮かんでブティックへ/店先にあるダルメシアンの置物が急に動いたから「きゃぁ!」/本物だったなんて大笑い/うそみたい!で大笑い/いろんな人から何座なの?聞かれるけれど/星座なんて興味ない/踊れる曲が聴きたいな/ヴィブラフォンが夢のように響くやつ/シュリンプカクテルとチョコレートシェイクって意外にあう/明日の天気なんて興味ない
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。
塾の帰り、一本道は静まり返っていた。墨汁をひっくり返したような夜空に、たまご色のまるい月が浮かんでいる。道の両脇からせり出している大きな木々は怪獣のようだった。友達は拾ったススキの葉をぶんぶん振り回しながら、少し前を歩いている。
「あのさ、俺さ、塾の俺と、学校の俺と、家での俺、全然別人なんだよな」
自分はとっさに信じられないことを口にしてしまった。ひとりで悩んでいた秘密。絶対に“どこかおかしい”と悩み続けていたこと。友達は振り返ると、ススキの葉をバットにみたてて素振りをしてみせた。
「俺もだよ!」
そして彼はとぼとぼと歩き出して、自分もそれに続いた。月に照らされた彼の言葉は、自分の宝物になった。
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。
誰かのやさしい口笛も、
誰かのぼつりん独り言も、
誰かのめそめそ涙粒も、
ぜーんぶぜーんぶ、
聞いているよ、見ているよ。
オレンジ色の僕は、
もうすぐ宇宙のヨルに溶け込んでしまうけど、
いつでも僕のドアはあいている。
口をあーんぐりあけて、
首がいたくなるくらい、
僕をみつめて。
ひとつだけ願いがかなうなら、
今夜はきみよりも年下になりたい。
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。
スープを温めなおすついでに、
こころの奥に眠っていた夢をひっぱりだして、
コトコトと温めなおしてみた。
ふーふーふー。
そうしてひとくち飲んでみた。
(ぼんやりした味だった)
夢に塩コショウをパラパラとふりかけてみた。
(思っていたのと違う味だったけど)
でもこっちの方がいまの自分の好みだな。
いつのまにかズレちゃってたみたい、夢と自分が。
夢をあたためなおしたら、別の夢が出来上がっていた。
いただきます!
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。
ツイードのコートを10ヶ月ぶりにタンスの奥から出して着た。冷たい風が、今年の最終回に向かって吹き始めたらしい。彼の手にはコーヒーシェイク。冷たいものを冷たい手で持ち歩くのは、少しつらい。左手をコートのポケットにつっこむ。指に何やらあたるものがある。取り出してみると小さな紙。
牛乳 ハム ヨーグルト パン(食パン以外のおいしそうなもの) アロンアルファ
…とあった。別れた彼女の眠たそうな文字だった。彼はよく買い物を頼まれていた。あの頃の日常のかけらが、予告もなく魔法のようにあらわれたのだ。彼はメモをぎゅっと握りしめると、もう一度ポケットの中に入れた。ポケットの中で彼女と手をつないで歩くように。
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。
ショーウィンドウに飾られていたあるものに惹かれて、彼女はブティックのドアをあける。それは甘い砂糖と雪の結晶で仕上げたような、ベビーピンクのファーの襟巻き。なんて可愛らしいんだろう。
しかし彼女が手にしたのは、その隣にあるブルーグレーのファーだった。昔からそうなのだ。本当はベビーピンクを選びたいのに、自分の女性性にクールな蓋をかぶせてしまう。鏡の中の自分はいつも通りだった。
その時、エスプレッソの香りが流れてきた。(あぁこのブティックはカフェカンターもしつらえてあるのだ)エスプレッソの香りは迷いのない濃縮されたほろ苦さと、どこか夢見るような軽やかさを表現していた。先週、ボーイフレンドと別れた彼女に、エスプレッソが心地よく身体じゅうにめぐっていく。
(いまの私だったら、しっくりくるかもしれない)
ブルーグレーの襟巻きを首からはずして、ベビーピンクの方をゆっくりと巻いてみる。なめらかな肌をした彼女は、誰よりもベビーピンクが似合っていた。細かい傷をたくさん重ねて得た、深くてビターなエスプレッソのこころを持っていたから。
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。
彼女の部屋をそのまま美術館で再現したら、意外と前衛的なアートになるかもしれない。そんなシニカルな考えは彼女自身から浮かんだ。
歯磨きペーストはペラペラに痩せているし、石鹸もあめ玉の最後の方みたいな姿だし、ティッシュペーパーは底をつき、駅でもらったポケットティッシュが何個も転がっている。コーンフレークの四角い箱を振ってもカスカスの音しかしないし、残り少ないマヨネーズは冷蔵庫の中で“おじぎ”をしている。
彼女は伸びすぎた前髪をすくって、ピンクのゴムで高めのポニーテールをつくった。「よし、買い物にいく」家の中の終わりかけたものたちと決別して、ピカピカなエネルギーをもった新品たちを迎えるんだ。自分のこころの中がこの部屋の風景をつくっていることを、もちろん彼女は知っていた。
外はもう暗くて肌寒くて、会社帰りのサラリーマンたちは無表情だった。ポケットに財布だけを入れた彼女は、スーパーマーケットの白いヒカリを見つけた。きっと日用品が彼女を盛り立ててくれる。たっぷりとあたたかな音色を放つ楽器のように。
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。
気が変になってくるリズム感。音程がひっくり返る歌声。いつもへの字口の愛想のなさ。平均年齢18.7歳の女子で結成されたロックバンド“ラクトアイス”。
ある音楽評論家は「世界最悪級のおぞましいフェイク」と評し、またあるミュージシャンは「ビーチ・ボーイズのコピーを演るなんて1万年早い」と噛んでいるガムを床に投げつけた。悪評に反比例して“ラクトアイス”のレコードは飛ぶように売れ、ワールドツアーのチケットは秒速でなくなった。
ヴォーカルのリリィは、ローリング・ストーン誌の表紙の撮影中だ。栗色の髪をツインテールにして、アイスクリームになりきれない“ラクトアイス”でできた水色のアイスバーを舐めている。カールしたまつげはスタジオの屋根を突き破り、太陽と握手ができるくらい長かった。
カメラマンはできるだけおバカな女のコを撮りたいようだった。最大のヒット曲にあわせてリリィは腰を振って踊り出した。世界じゅうのラクトアイスマニアとラクトアイスアンチの大好物くらい、リリィは1万年前から知っているのだ。
(なぁんにも考えてないフリするの、得意なの)
ラクトアイスは消費されない。消費させられていたのは彼らだった。
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。
ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。
自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。
でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。
そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。
広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。
color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com
◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。
イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com