166

夏の夕方の秘密。

プールからあがったクタクタの身体で、僕は自転車を漕いでいる。お腹がすきすぎて、猫背になって漕いでいる。だんだんと暗く沈んでいく夏の夕方が、僕は嫌いじゃない。自分の中に潜んでいるいくつかの秘密と、素直に向き合える気がするから。あのこ、どうしてるかな。あのこの笑った顔を思い出す。学校に行けば毎日見ることができたのに。夏休みは好きだけど、嫌いだ。誰もいない道の両側から大きな木がせり出して、影絵のように映っている。夏の虫が合唱をはじめる。

一本道の先にゆらゆらと二つの人影が見えてくる。僕は無音の口笛を吹きながら進んでいく。遠くの二人が電柱のライトに照らされると、僕の心臓はドクンドクンと波打ち始めた。あのこだ。あのこが浴衣を着て、お母さんと話しながら歩いてくる。あのこに声をかけるんだ、挨拶するんだ。なのに。僕はまっすぐ前を見たまま通り過ぎてしまう。

でも、すれ違ってしまう0.1秒前にあのこも僕に気がついた、とおもった。僕は自転車をそのまま少し走らせたけれど、キュッとブレーキをかけて立ち止まった。僕が後ろを振り向くと、その瞬間、あのこも振り返った。そしてあのこは手をあげて、小さくその手をふった。僕も右手をハンドルからはずし、小さく手をふった。浴衣を着たあのこが、僕に手をふってくれた。宇宙の空には、黄色い月がぼんやり浮かんでいる。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

165

ノールール。

私は海の水でできている。

私は毎日自分の中の海で自由に泳いでいる。

 

私は眠れなくても悲しくならない。

私の24時間なのだからどう使ってもよい。

 

私は年をとらない。

私は3歳であり100歳でもある。

 

私は汚れない。

私を汚すものはこの世に存在しない。

 

私はいつも扉をあけている。

私にはそして扉さえない。

 

私はどう転んでも不幸にならない。

私には不幸になる才能がない。

 

 

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164

ずっとむこうのちいさなヒカリ。

背筋をしゃんと伸ばして、

あごをひいて、

口角を上げて、

右、左、右、左。

交互に足を前に出せば、

風がおきる。

前髪があそぶ。

口笛を吹いてみる。

曲じゃなくて気分のメロディ。

トンネルの中は真っ暗だけど、

ずっとむこうのちいさなヒカリ。

こころの目だとみえるんだ。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

163

弱ったときのオムライス。

こころがざわざわorしゅんとした日には、こんなオムライスはいかが。まんまるフライパンをひょいと火にかけて、玉ねぎをあなたのモヤモヤが透き通るくらいまで炒めるの。あたたかいごはんを投入っ。くやしい気持ちを炎で燃やすの。真っ赤なケッチャップをこれでもかってほど、ぶちまける。だんだんごはん粒が合唱しだすの。おーい!元気かーい!って。お皿に盛ったら、そっと黄色いオムレツのおふとんをかぶせて。そしてあなたの名前をケチャップでつづって。(はずかしがっちゃだめ!)地球に生まれてきてくれたあなたを、盛大に祝福するひと皿の完成です。パチパチパチ。

 

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162

好きな人ができたら。

好きな人ができたら、

おなかが空かなくなった。

音楽に敏感になった。

歩きながら考えるようになった。

洋服が足りなくなった。

髪の毛がやわらかくなった。

涙がにじむようになった。

ふわふわの小鳥にみとれるようになった。

細いヒールが欲しくなった。

ひとりごとをメモするようになった。

月を探すようになった。

バスタブの時間が長くなった。

街で人違いするようになった。

好きな人のことを考える時間を、

これまで何に使っていたのか思い出せなくなった。

好きな人ができたら、

絶望と希望を知った。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

161

水と氷のかんけい。

透明のコップに氷を3個入れる。

次に水を入れる。

氷はパチパチッとまばたきする。

 

透明のコップに水を入れる。

次に氷を3個入れる。

氷は静かに目を閉じてふわっと浮かぶ。

 

5個の氷がひとつにかたまっている。

水を入れるとキッと声をあげて、

氷同士の団結力がさらに高まる。

 

氷をストローでかき混ぜると、

チロチロと切ない声でうたう。

 

氷をシンクに置きっ放しにしておくと、

ツーっと動いて水になって魂を売る。

 

 

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160

淑女の嗜み。

殿方とのデイトではいつでも涼やかな表情でいたいもの。白いハンカチーフを二枚ほどハンドバッグにしのばせておき、お化粧が崩れる前にそっと汗をおさえましょう。パラソルは洋装にも和装にも似合うものを選ぶとよいでしょう。喫茶室では透明なソーダ水があなたの顔色を引き立ててくれます。色鮮やかなフルーツポンチや、艶のあるババロアなどを注文するとその場の空気が一層華やかに。会話の途中であいふぉーんなどを覗き見することは控えましょう。テーブルに乗った料理の写真を撮影することも、殿方は好ましく思いません。また行き届いた会話を望むあまり、堅苦しくなる必要などありません。いつものあなたらしい、自然な心持ちでおしゃべりを愉しめば良いのです。夜休む前に一行だけお礼のめーるを送りましょう。作文のように長々と書いてはスマートではありません。殿方に「またお会いしたい」と想わせる為には、急いであなたの総てを披露するのは逆効果です。恋心の七分目ほどを表現するくらいで丁度良いでしょう。

 

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159

夏の歩き方。

夏は肩のチカラをぜんぶ抜こう。

 

夏は太陽に降参してあちち!と笑おう。

 

夏はスキップして好きな人に会いにいこう。

 

夏は夕焼けの色を見逃すな。

 

夏は手ぶらで旅行に出かけよう。

 

夏は花火の音にザワザワしよう。

 

夏は道路の白い線だけを歩く。(大人になっても!)

 

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158

水着を包む仕事をしている。

今月の水着はセパレートタイプだった。トップは明るいブルーで、胸元にはヨットの刺繍があしらわれている。ボトムは明るいブルーとホワイトの縞模様だ。先月の水着はパイナップル柄のワンピースタイプだった。大きなパイナップルと小さなパイナップルが、交互に描かれていた。私は水着工場で働いている。ラインに乗ってくる水着を受け取り、美しくたたみ、柔らかな紙で包む。それが私の仕事だ。工場は広い敷地に建っており、何十部屋もあるらしい。私は隣の部屋にしか行ったことがない。そこは水着を箱に詰めて発送する部屋で、一日じゅうラジオがかかっていた。私は友達に言ったら驚かれるくらいのお金を銀行に預けている。来月、私はそれらのお金を全部おろして、水着工場を辞め、3年前に出会った男のこを追いかけて南の島へ行く。そして一生ここには戻ってこないつもりだ。男のこが働いているカフェしか知らないけれど、もうそこにはいないかもしれないけれど、私はその男のこと結婚するような気がしている。男のこに会ったらHi!と手をあげて挨拶するだろう。その時の私はデニム生地のビスチェに、ベビーピンクのフレアースカートを着ていようとおもう。手にはバニラシェイクなんかを持っていたい。それからのことは成りゆきで。きっとうまくいく。工場の窓から太陽のヒカリが本格的にさしてきた。あと7分で昼の休憩だ。家から持ってきたベーグルサンドがある。この暑さでクリームチーズが溶け出していないかが心配だ。

 

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157

自分にしつもん。

おーい!って叫んでみた。

ふーんってかえってきた。

 

どうかーい?って叫んでみた。

まぁねってかえってきた。

 

どんな気分ー?って叫んでみた。

おなかすいたってかえってきた。

 

まだまだいくつもりでいるらしい。

わらっちゃうほどしぶといやつだ。

自分でじぶんをあまくみていた。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com