96

ひみつの読書。

真っ暗な部屋に、ちいさな電球をひとつ灯す。

洗った髪の毛はまだ乾いていないけれど、勢いよくベッドにもぐりこむ。

そして、ゆっくりと本をひらく。

あのこがぼくに貸してくれた本。

このことはクラスの仲間も親友も誰も知らない。

ひと文字、ひと文字、あのこがたどった文字をぼくが後から重ねていく。

ずっと昔に書かれた本。

物語の中に入り込んで、ふたりで旅をしているようだ。

ページが少しへこんでしわになっている。

あのこがめくった指の跡だと知る。

その瞬間、夜空をアーチ型の光線が走り、

あのことつながった、気がした。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

95

サーヴィスを変えてみましたの。

わたくしが瓶ビールの栓を抜く“コスン”というオトを、

好まれるお客さまが多いのです。

だからBARから音楽を無くしました。

 

わたくしが濃紺か黒のドレスしか身につけないのは、

なんというかまぁ、照れもあるのでしょう。

淡い色などはどうも、ねぇ、性格は男なので。

 

わたくしは料理をしません。

缶詰を皿に盛ったり、サラミ、チーズなどをおだしします。

料理をしている姿は似合わないといわれます。

 

わたくしはあまり喋りません。

質問されれば答えますけれど、ひとこと、ふたこと。

静かに飲みたいお客さまの方が多いです。

 

あれこれとサーヴィスを考えることがすきです。

今度はこうしてみようかしらってね。

 

まぁ、いらっしゃいませ。どうぞこちらへ。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

94

黒い家の男。

黒い家の男は、自分の才能の凄さを知っていた。

それと同時に、自分と似たような才能を持つ人間がいることを恐れていた。

だから、世の中に触れず、ひとと会わず、いっさいの情報から逃げて暮らしていた。

 

腹が減れば魚を釣り、畑の野菜を食べ、雨水を飲んだ。

黒い家の男の才能は、年々衰えるどころかますますみなぎっていった。

 

しかし、黒い家の男はうっかり世の中と接触する機会をつくってしまった。

世の中に自分と似たような才能を持つ人間が、けっこういることを知ってしまった。

 

黒い家の男は、黒い家の隅で震えていた。

才能がみすぼらしくし変形してしまった。

もう二度と開花することはないと絶望した。

 

黒い家の男は5日間眠り続け、6日目の朝、目をあけた。

喉も渇いているし、腹も減っていたが、

そんなことより、今すぐ自分の才能に会いたくなった。

(自分の才能と似ている人間がいることなど、もうどうでもよくなっていた。)

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

93

月の表面にタッチする方法。

手ぶらで行ってください。

助走をつけて思いっきりジャンプしてみてください。

飛び上がった瞬間に空気を漕ぐのがコツです。

2、3回漕ぐとグンと数メートル宙に浮きます。

自転車のペダルを漕ぐようなイメージです。

(はいその調子です)

そのまま夜空を登っていくと、大きな雲が見えてきます。

今度は平泳ぎの要領に変えてください。

スイスイと月に向かっていきます。

“こんな感じでいいのかな”と途中不安になるかと思いますが、

スイスイをやめないでください。

月は急に目の前にあらわれます。

表面にはそっとタッチしてください。

(きっと懐かしい気持ちがするとおもいます)

ぜひ、月にひとこと言葉をかけてみてください。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

92

こころのロードムービー。

ずっと歩いている。

冷たい空気をかきわけながら、歩いている。

悩みごとと向き合うために、歩いている。

大きな雲はじっくりと移動している。

自転車の高校生はびゅんと追い越していく。

悩みごとを真剣に悩みたかったのに、

悩みごとは頭のてっぺんから降りてきて、

胸のあたりを通過して、

いまは両手の指先からこぼれ落ちそうになっている。

あんなに悩んでいたのに、消えそうになっている。

何の解決もしていないのに、無くなりそうになっている。

今は生きているじぶんだけを感じている。

ぐんぐん前へ進むじぶんの肉体だけを感じている。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

91

今日の仕上げはマルゲリータ。

目覚まし時計を床に落としたまま、はっと起きたら会議に遅れて、私の番でコピー機は壊れてしまうし、作った書類は計算まちがい、クリップを指に刺してしまうし(うっ!)、自販機から転がってきたのはぬるいウーロン茶だった。(あつあつが飲みたかった)でもね、18時のベルが鳴ったらくちびるにイチゴ色のグロス塗って、ミルクティー色のエナメルブーツに履き替えて、信号のギリギリ青を渡りきり、にんまり笑顔の恋人にゴール。トマトとチーズの大合唱、マルゲリータピザにゴール。とろりチーズを追いかけて、口の中がマルゲリータ。(あちっ!)マルゲリータで私の今日は大勝利。マルゲリータは私を救う。

90

ガールフレンドは居眠りちゅう。

昼間の電車はのろのろ運転。

各駅に止まるたび、あくびのようにドアがあく。

僕の左肩に彼女の重みを感じながら、

線路の流れにのってゆらゆら。

あぁひなたの匂いがする。

太陽に照らされた髪の毛がきらきら光ってる。

僕も一緒に眠ってしまいたいけれど、

何かもったいない気がして。

まだ手をつなぐ勇気がなかった僕より、

居眠りしてしまう彼女はなんてかっこいいんだ。

1両だけの電車は僕たちだけ。ありがとう。

彼女が起きたら“おはよう”って言おう。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

89

グラタンを待つあいだに。

ヘルシンキ行きの航空券をとって、

ネイルサロンの予約をして、

ミーティングのリスケをして、

目薬をさして、

甥っ子の誕生日プレゼント考えて、

マスカラの調子を鏡で確認して、

化粧ポーチの中を整理して、

ボーイフレンドにサヨナラ!のメールを送った。

私は冷たい?

いや、私は仕事が早いだけ。

いや、私は自由が好きなだけ。

(ウイ!)

 

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88

不機嫌顔のデート服。

うちは「まかないテーラー」。ありあわせの材料で、ささっと洋服をこしらえる小さなテーラー。私がホットミルクをフーフーしてた時、呼び鈴が鳴ったの。「初デートに着ていく服をつくって欲しい」。訪ねてきた娘の口はへの字に曲がって、声はちいさく震えていたわ。

そうだ、キャラメルの包み紙をとっておいたのよ。こころが透けるワンピースをつくりましょう。不機嫌顔に眠ってる、あなたの“ おちゃめ“が伝わるように。ザーザーとミシンを動かすオト、んーんー♫の鼻歌も一緒に糸にからませて。

はい、できあがり。不機嫌顔の娘は、キャラメルの包み紙でできたワンピースを着た。ふんわりとキャラメルのあまい香りにつつまれて、キュッとむすんだ口がフニャーと溶けて笑顔になった。そうだ、庭に咲いてるお花をわけてあげるわよ。すると、上機嫌顔の娘は「女のコから男のコににお花をプレゼントするって、ちょっといいね」って。まぁ、センスいいわね!(こっちまで上機嫌になってしまうわ)

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39秒のメロドラマ。

まさか砂浜を歩くなんておもっていなかったから、彼女はハイヒールを履いてきたことを後悔するにも後悔しようがなかった。気まぐれな男友達は白より白い車のスピードを上げて、おまけにラジオのヴォリュームもマックスまで上げて、「海につき合って」ってと言ったっきり、ずっと黙っているものだから。

風がとても強くて、おまけに寒くて。恋人だったら彼のコートの中に逃げ込むけれど、まさかそんな仲でもないし。ぐんぐん前を歩く男友達は、よろけながら歩く彼女を振り返ることさえ知らない。ブルーグレーの海と、ダークグレーの空の、淡いコントラスト。鈍い音を立てて旅客機が登っていく。男友達は立ち止まり振り返る。ふたりのあいだのバランスが崩れた、瞬間だった。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com