230

宇宙的な日。

自分についている透明な鍵をカチャッと閉めて、甘いドーナツと甘いココアを自分に差し入れして、絶対に裏切らない大好きな漫画を読みながら、ごろごろ、ごろごろ、だらだら、と自分を好き放題にさせていると、眠気も仲間入りしてきた。目がさめると、小さな部屋が暗い宇宙になっていた。今が朝なのか夕方なのかわからない。ズシンと重い悩みごとが、身体の中から消えていた。悩みごとは、宇宙のゴミと一緒に、遠いかなたに吸い込まれていってしまった。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

229

てんきの、よほう。

はれです、ぎらぎらとたいようが、かがやきます、といっている。うれしくおもうひともいれば、かなしくなるひともいるのだとおもう。こころのなかが、ざーざーと、しとしとと、もわもわと、していたら、ぎらぎらたいようは、ちょっときついかもしれない。てんきよほうをみて、みんなおんなじきもちになるのだ、というふうにおもうのは、ちがうのだ。ぼくはきがついた。きょうきがついた。

 

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228

秘密の旅。

特訓の甲斐があって、僕はひとりで自転車に乗れるようになった。ペダルを踏み込むと、軽やかに旅が始まった。いつもの風景が後ろにすっ飛んでいく。散歩の犬も、学校帰りの中学生も、スイスイと追い越していく。まっすぐに駅の方へ向かっていたけれど、いつもとは違う角を曲がってしまえ。初めて見る小さな公園、初めて見るドーナツ屋さん。僕はペダルをぐんぐん漕いでいく。あぁ楽しい。でも、日が落ちてきたからそろそろ帰らなきゃ。方向を間違えているのか、大通りが見えてこない。漕いでも、漕いでも見えてこない。僕の身体の中心は、ふわふわと頼りなく波打っている。あたりは暗くなり、風がつめたくなってきた。僕はついに自転車を止める。知らない家からオレンジ色の灯りがもれ、テレビアニメのエンディング曲が聞こえてくる。一体ここはどこなんだ。もう家族とは一生会えない気がして絶望する。顔を上げると、視線の先に大通りの風景がかすかに見えた。僕は疲れ切った脚を必死に回転させて、大通りへ出た。馴染みのある街並みに、涙がにじんできた。そしてこの出来事は、一生誰にも言わないと誓った。

 

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227

二度目のピーク。

白か黒か一瞬だけ指先が迷った末、彼女はシュガーポットから黒砂糖のキューブをつまみ上げ、ブラックコーヒーに投入した。スプーンでかき混ぜることはせず、ただ黒い液体に沈んでいく黒砂糖に想いを馳せる。黒砂糖は細胞分裂しながら、最後は無になるのだ。自らの甘みを散りぢりに飛ばしながら、いつかは居なくなる。彼女は女優としてのピークを迎えていた。いや、もっと正確に言えば、ピークの終わりの始まりにいる。映画監督もスポンサーも熱狂的なファンも、まったくそのことに気づこうとしない。“冷たい水のような透明感”と謳われた素肌は、もうとっくに生温かく濁り始めているし、“音楽のように自由な演技力”は感性の残り火だけでまかなっている。サングラス越しに見えるモノクロームの空には、次々に飛行機が消えていく。パリ行きのアナウンスが、繰り返し響いている。彼女はこれから30年間姿を消す。誰にも居場所を言わずに。そして30年後、変わり果てた姿で銀幕に戻ってくるのだ。二度目のピークはそのときだ。次こそは、自分の意志で舞台に立つ。初めて女優になれるのだ。

 

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226

もし、もしも。

新しいワンピースが縫い上がった瞬間、電話が鳴った。彼だ、密かに片思いちゅうの。え、これってテレパシー的な。もしもし。(できるだけ普通に!)あなたのこと想いながらワンピース縫ってました、なんて言えるわけない。声が聞きたいから電話したって、ほんとに。それって。(どきどき)ぽつりぽつりと、お互いの近況報告がつづく。あぁ、そんなことより。もし、もしもデイトに誘ってくれたら、このワンピースを着ていくのに。ほら、こんなに可愛く仕上がってるのに。2秒半くらいの沈黙のあと、彼が言った。「もし、もしも今度の日曜日あいてたら…」やった!

 

 

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225

もしもし。

秋のある日、ぎりぎりのトースト。チン!想いがつよすぎて、焦がしてしまう。女性を追いかけたらダメ、追いかけられる男になれ、と先輩に忠告された昨夜のハイボール。ザクッ!とバターを塗りながら、追いかけられる気持ちってどんなだろ。(わからん、どんなだろ)ただただ、あのこが笑っていられるような僕でいたい。ただただ、あのこがふわーっとあくびをするのを見ていたい。トーストが焦げようが、今日が何曜日だろうが、あのこが僕のことを求めているのか、なんて関係ない。トーストを食べ終わったら、ただただ、僕は(いま流行らない)電話をしてしまおう。ただただ、あのこの声がききたいから。

 

 

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224

お好きなように。

あたたかいスープにするか。つめたいスープにするか。

お好きなように。

 

今日へんじをするか。明日へんじをするか。

お好きなように。

 

片想いをあと少し続けてみるか。他の誰かに目移りしてみるか。

お好きなように。

 

傘をカバンからとりだすか。もうこのまま濡れていくか。

お好きなように。

 

最初の直感を信じてみるか。今の気分を信じてみるか。

お好きなように。

 

あなたが決めたことが、いちばんサイコー。

あなたが決めたんだから、いちばんホントウ。

 

 

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223

バレリーナキッチン。

白鳥のような美しいネックラインをもつ双子の姉妹は、今夜も大忙し。ひき肉をピーマンの部屋にぎゅっとつめ込んだり、オーブンの中でうなっているグラタンをなだめたり、泣きながら玉ねぎを裸にしたり、ムール貝に白ワインを振りかけて嫉妬の炎を焚きつけたり。あぁ。気取り屋のカスタード氏は「コンソメスープにアルゼンチン産の卵を落としてくれたまえ」とオーダーしてくるし。ふぅ。美容室帰りのマドレーヌは「顔映りのいい深いオレンジ色のカクテルを頂戴」とお澄まし。でもお客の我が儘は、姉妹にとって愛すべきもの。突然、小刻みのドラムの音。景気のいいトランペットは天井を突き破り、低いウッドベースは地下室のさらに下まで響きわたる。双子の姉妹は着けていたエプロンを剥ぎとり、ジャズバンドの前までつま先で歩く。拍手がわき起こる。姉妹のショータイムのはじまり。ここからは我が儘なお客も自分でソーセージを焼いたり、チーズをカットしたり、ビールを冷蔵庫から出してきたり、すべてセルフサービス。(しかも喜んで!)ここは、港町に建つ白いペンキのはげたバレリーナキッチン。姉妹のダンスの盛り上がりは、海に浮かぶ漁船にまで夜風に乗って伝わっている。

 

 

 

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222

誰かの花束。

頬杖をついてカフェで、ぼー。アイスコーヒーをストローで、くるくる。浮かんだ氷が鳴いている、ちろちろ。こころの中には、ずっと白い綿がつまったまま。私はいくつもの季節を、傍観者のように見送ってしまった。パッとシアワセになりたいのに。スカッと晴れた気分になりたいのに。でも、わかっている。じぶんがじぶんを動かしていないから、だ。やりたいことに言い訳をつけて、一歩を前に出さないから、だ。顔を上げて、通りに目をやる。人の波を、すいすいとすり抜けていく男性がいた。両手には大きな花束を抱えて。(花束は白いせつないかすみ草だけでできていた)一瞬、時間が止まった。知らない誰かが、知らない誰かに渡す花束の流れ弾が、私の中に入り込んだ。こころの白い綿をやさしく突き抜けた。しゅーっと風が通った。肚の一番底の方から、あたらしいちからが湧き上がってくるのを感じた。理由なんてなかった。

 

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221

感情デパートメント。

一番売れているのは「ポッ」です。ポッと恋心が生まれたり、ポッと恥じらいを感じたり。そういった感情がいま不足しているのでしょう。

「まぁね」も人気です。まぁねは、手持ちの激しい感情に混ぜるといい味にかわるから。とても使い勝手がいいとご好評いただいています。

おすすめですか?「ほぅ」はいかがでしょう。生きていると思ってもみないことが起こります。そんな時に「ほぅそうきたか」「ほぅなるほどね」と。「ほぅ」は間が抜けてるようでいて、クールな魅力がありますよ。

あたらしい感情も開発中です。「だいじょーぶ」より少し繊細さをふくんだ「ちゅうじょーぶ」。きっとお気に召していただけるとおもいます。

 

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com