211

万事快調。

ベッドの中で目を覚ますと、もうこの街は動き出していた。半径100キロメートルの気配のすべてが、ダイレクトに胸に届いてくる。ここはニューヨーク。世界じゅうの野心とロマンが集結する場所。その中に私もいた。今日という日を華々しくデビューするために、勢いよく起き上がる。シーツから出た脚は、陽に焼けて輝いている。私は湯を沸かしコーヒーをこしらえ、ビスケットをかじる。ラジオのニュースを聴きながら、メイク。ルックは白い麻のシャツと、黒いスキニーパンツにした。シャツのボタンは3個目まで外し、美しい鎖骨をアクセサリー代わりにした。

外に出るとドライバーとメッセンジャーボーイが、言い争いをしている。後に続く車は、クラクションを鳴らし続けている。私は地下鉄を乗り継ぎ、目当てのビルまで到着した。見上げると建物は雲の中を突き抜けて、てっぺんは見えなかった。エレヴェーターは地上78階まで、一度も止まらずに上昇していく。

ドアが開くと、白で統一されたエントランスが広がっていた。まっすぐにカウンターまで歩く。夢の仕事にありつくために、私は全細胞を集中させる。受付の女性は細く長い首に、アイスキューブがぶら下がったチョーカーを巻いている。私は自分の名前と、面接に来た旨を伝えた。彼女は野菜サンドを咀嚼しながら(ちょっと待ってね)というポーズをして、紙コップのカフェ・オ・レで流し込んだ。私の人生は、たった今始まったばかりだ。これまでの過去は、全部捨ててきた。窓から見えるエンパイア・ステートビルを、手のひらの中にそっと丸め込み握りしめた。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

210

ほっぺたがいい日。

パーンと晴れ渡った空。小鳥の愛らしい歌声。

ヒカリを浴びながら歩く。音をださない口笛を吹きながら。

うん、今日は肌の調子がいい。

今朝、鏡の中で発見した。生まれたての細胞が、肌の下で小躍りしてた。

ほっぺたがいいこんな日は、あの人とばったり会いたい。

あの角を曲がったら、あの人とぶつかりますように。

漫画のようなわたしの願い、神サマ叶えて。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

209

雨粒の記憶。

「プツプツって、雨が落ちる音が好きなんだよね。」彼女は赤い傘の内側から、細い指を伸ばし雨粒をたどった。学校からの帰り道、偶然一緒になった幸運。なのに、何を喋っていいのかわからない焦り。僕はもう少しで「雨って嫌だよねー。」と、口から出るところだった。(言わなくてよかった)当たり障りのない話題で、この数秒間をしのごうと思ったのだ。僕も雨が傘に落ちる音を聞いてみた。(生まれて初めて聞いた)プツプツ、プツプツプツ。彼女の瞳や耳のフィルターを通すと、世界はこんなにも心地よく美しいのか。こぼれ落ちる雨粒は、彼女の横顔にキラキラと反射していた。僕はこの日を境に、彼女のことがもっと好きになった。雨の日も好きになった。そして20年以上経った今も、雨が降ると必ず雨粒の音に耳を澄ましている。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

208

フルーツメイク。

鏡の中のすっぴん顔。透明のソーダ水を吸い込みながら、作戦開始。今日は白より白いサマードレスを着るから、涼しい顔でいたいなぁ。化粧品はくだもの屋さんから仕入れてきた。さて、まぶたにミントシャーベットをひと塗り。(うっ冷たっ)まつげはブルーベリージャムで染めて。目尻はプラムの細い線で跳ね上げる。くちびるにはマンゴーとハチミツを混ぜたグロスを、とろり。頬っぺたにはイチゴのマカロンを、ポンポンとはたいていく。フルーツフェイス、できあがり。デイトはパーラーで待ち合わせ。ボーイフレンドとフルーツサンドを食べる予定。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

207

シャンプーLIVE!

襟足のみんな、届いてる?

左サイドのみんな、どう、気持ちいい?

右サイドのみんなも、おつかれっ。

前髪のアリーナ、いつもありがとう。

てっぺんのみんな、最高。

イライラもモヤモヤも、

泡まみれになってワシャワシャ踊りまくるよ。

さぁ全員ジャーンプ。

一気にシャワーで打ち上がるよーーー。

 

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206

憧れ星人。

僕は本物のメロンより、にせもののメロン味が好きだ、なんてことを言うと、モテない感じがするから言わないけどね。“憧れてる”感じが好きなんだ。未達成の寸止めで、想像をふくらますのが良い。これ、わかってくれるヒト少ないから言わないけどね。そして今夜のビールは頂点だった。舌が夏を“転がして”いた。5月だから本物の夏じゃない、だから余計に夏を感じるんだ。(正真正銘の夏がくると、すでに秋に憧れている)だからね、彼女とはあんまり会わないようにしてるんだ。その方が、待ち合わせの瞬間が、素晴らしいから。(これを彼女に言うと怒られるからひみつだけど)憧れるのは、ひとりでひっそり。

 

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205

ライト派。

豪邸よりも、トランクひとつで引っ越しできる部屋を。

大号泣する大作よりも、あとでフラッシュバックするシネマを。

フルメイクよりも、リンゴのほっぺたが透ける肌を。

予定ぎっしり充実感よりも、思いつきで行動できるワークスタイルを。

長い説明の赤ワインよりも、レモン絞って飲むビアを。

遠くまで海を見に行くよりも、水道水のキラキラを。

漆黒の真夜中よりも、新品の朝を。

カルボナーラよりも、カッペリーニを。(これはその日の気分によるな)

 

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204

ファーストシーン。

海というものを初めて見た瞬間、3歳の僕は砂浜に尻もちをついた。海はつかみどころがなかった。予告もなく突然広がっていて、曇り空と一体となっていて、ドドドドーザザザザー。足元にちゃちゃを入れてくる波は小さくて白いのに、遠くの波はしんと深い灰色をしている。子どもたちは興奮してはしゃぎまわっている。しかし、大人たちまでもプカプカと浮いたり、しぶきを上げて泳いでいる様子が、とても奇妙に映った。僕は非日常の風景を、望遠鏡から覗いているような気分で見ていた。海。地球にはこんなに凄みのある、厳しい顔があったとは。

 

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203

タマゴ革命。

最近、もろもろあり、ややあって、今夜にいたった彼だった/これまでの生き方を大幅に変化させなければ/これからの人生の見通しがまったくたたない/つまり自分の中で“革命”を起こす必要があった/これまでだったら絶対にやらないことを/とりあえずやってみることにした/真夜中の2時12分/彼はキッチンにたった/フライパンをあたためて/オイルをとろり/冷蔵庫から白いタマゴをとりだして/パパンと割って/ジュッと焼き付ける/こんな時間に/彼は目玉焼きを作っている/まぎれもなく人生初だった/その調子だ!!!!!!!!!

*「電車は遅れておりますが」 は毎週火曜日に更新しています。

202

ショーウインドウの女。

大学の授業も退屈だったし、お小遣いも欲しかったし、彼女にはこの風変わりなアルバイトを断る理由が見つからなかった。仕事とは百貨店のショーウインドウの中で、1日を過ごすこと。たとえば、朝は黒いキャミソールで新聞を広げ、カフェオレを飲む。昼間は赤いエナメルのジャンプスーツで、ハムサンドをほおばる。(なぜかテニスルックを着せられたこともあった)夜は背中があいた総レースのドレスで、ブルーのカクテルをすする。(カクテルがより美しく光るように、グラスに豆電球を仕込まれた)透明なガラスの外側には、いつも人だかりができた。

彼女は思う。これは自分の天職だと。人目が気にならない。いや、むしろ人から見られている方が、リラックスできるのだ。水の飲み方が可愛い、身体がものすごく柔らかい(ヨガのポーズもした)、眠っている顔が天使。噂が噂を呼んで、世界中の人々はショーウインドウで暮らす彼女を見に来た。

ある朝、事件は起こった。彼女がベッドから起き上がってこない。やっと白い毛布が動いたとおもったら、中から出てきたのはミルクティー色の猫だった。ベッドの中はからっぽ。彼女は人間ではなく猫だったのか。「カット!うーん、黒猫の方がいいなぁ。黒猫、借りてきて!」人だかり要員のエキストラ達は、こころの中で41回目のため息をついた。映画監督のこだわりは、どこまでも続くのであった。Fin

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

 

 

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com