223

バレリーナキッチン。

白鳥のような美しいネックラインをもつ双子の姉妹は、今夜も大忙し。ひき肉をピーマンの部屋にぎゅっとつめ込んだり、オーブンの中でうなっているグラタンをなだめたり、泣きながら玉ねぎを裸にしたり、ムール貝に白ワインを振りかけて嫉妬の炎を焚きつけたり。あぁ。気取り屋のカスタード氏は「コンソメスープにアルゼンチン産の卵を落としてくれたまえ」とオーダーしてくるし。ふぅ。美容室帰りのマドレーヌは「顔映りのいい深いオレンジ色のカクテルを頂戴」とお澄まし。でもお客の我が儘は、姉妹にとって愛すべきもの。突然、小刻みのドラムの音。景気のいいトランペットは天井を突き破り、低いウッドベースは地下室のさらに下まで響きわたる。双子の姉妹は着けていたエプロンを剥ぎとり、ジャズバンドの前までつま先で歩く。拍手がわき起こる。姉妹のショータイムのはじまり。ここからは我が儘なお客も自分でソーセージを焼いたり、チーズをカットしたり、ビールを冷蔵庫から出してきたり、すべてセルフサービス。(しかも喜んで!)ここは、港町に建つ白いペンキのはげたバレリーナキッチン。姉妹のダンスの盛り上がりは、海に浮かぶ漁船にまで夜風に乗って伝わっている。

 

 

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

222

誰かの花束。

頬杖をついてカフェで、ぼー。アイスコーヒーをストローで、くるくる。浮かんだ氷が鳴いている、ちろちろ。こころの中には、ずっと白い綿がつまったまま。私はいくつもの季節を、傍観者のように見送ってしまった。パッとシアワセになりたいのに。スカッと晴れた気分になりたいのに。でも、わかっている。じぶんがじぶんを動かしていないから、だ。やりたいことに言い訳をつけて、一歩を前に出さないから、だ。顔を上げて、通りに目をやる。人の波を、すいすいとすり抜けていく男性がいた。両手には大きな花束を抱えて。(花束は白いせつないかすみ草だけでできていた)一瞬、時間が止まった。知らない誰かが、知らない誰かに渡す花束の流れ弾が、私の中に入り込んだ。こころの白い綿をやさしく突き抜けた。しゅーっと風が通った。肚の一番底の方から、あたらしいちからが湧き上がってくるのを感じた。理由なんてなかった。

 

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221

感情デパートメント。

一番売れているのは「ポッ」です。ポッと恋心が生まれたり、ポッと恥じらいを感じたり。そういった感情がいま不足しているのでしょう。

「まぁね」も人気です。まぁねは、手持ちの激しい感情に混ぜるといい味にかわるから。とても使い勝手がいいとご好評いただいています。

おすすめですか?「ほぅ」はいかがでしょう。生きていると思ってもみないことが起こります。そんな時に「ほぅそうきたか」「ほぅなるほどね」と。「ほぅ」は間が抜けてるようでいて、クールな魅力がありますよ。

あたらしい感情も開発中です。「だいじょーぶ」より少し繊細さをふくんだ「ちゅうじょーぶ」。きっとお気に召していただけるとおもいます。

 

 

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220

おとなのひと。

おとなのひとは、いそがしい。

なつはあついあついと、もんくをいう。

ふゆはさむいさむいと、もんくをいう。

 

おとなのひとは、ふしぎだ。

りょこうにいきたい、いきたいという。

かえってきたら、いえがいちばんいいという。

 

おとなのひとは、ふあんがすき。

きょうもごはんをたべるおかねを、もっている。

きょうもおかねがたりないと、なげいている。

 

おとなのひとは、むかしがすき。

あのころはすてきだったと、うっとりしてる。

あのころもたっぷりなやんでいたこと、わすれてる。

 

 

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219

返し忘れた本。

彼女とは夏の最初に出会って、夏の終わりに別れた。僕も彼女も、二十歳にもう少しで手が届きそうな年齢だった。あまり細かなことは思い出せない。ただ、コンサートの帰りに彼女を寮まで送っていった夜のことは、不思議なくらいありありと浮かび上がってくる。坂道の途中、先に満月に気がついたのは彼女だった。黄色い月は、後方からやさしくふたりを照らしていた。僕たちはくるりと後ろ向きになり、月を眺めながら坂を登った。とても変な登り方。彼女のいたずらっぽい顔を知った瞬間だった。60日間ともたなかった、タイトルもない僕たちの物語。きっとどちらかが、どちらかを遠ざけたんだろう。あっけない恋。なのに、今でも本棚に刺さっている一冊が、彼女の不在を僕に伝え続けている。もう返すこともない、彼女から借りた本が。

 

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218

ありあわせの友情。

連絡もなしにピンポーン!だなんて、学生の頃のわたしたちみたいだね。さぁさ、入ってよ。用事なんてなくてもいいよ。こっちもぼんやりしてたんだから。ワンピース、かわいいじゃない。え、おぼえてない。去年も着てたっけ。(何にも言わなくてもいいよ、言いたくなってからで)おなか空かない。まだ食べてないんでしょ。昼につくったパスタの残りでいい。あとはキューリを切ろう。ゆっくりでいいんじゃない。ゆっくりがいいよ。がんばって立ち直らなくても、いいとおもう。いつかは私が助けてもらったね、あのときも、あのときも。今度はわたしの番。といっても、ありあわせのわたしで、一緒にいることくらいしかできないけれど。呑も!

 

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217

スモールチーム。

誰にも知られたくない悩みも。

ほんとは褒めてもらいたい出来事も。

押し寄せてくる不安の影も。

口に出せない夢も。

悪いとわかっていても直せない癖も。

いざという時に欲しい言葉も。

平気な顔して平気じゃない瞬間も。

あなたのすべてを知っている人がいる。

あなたにぴったりとくっついて、

どんな時でも味方をしてくれる人がいる。

しぬまで一緒にいてくれる人がいる。

それは、あなたの中にいる、もうひとりのあなた。

世界で一番小さい、最強のチーム。

 

 

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216

空のレストラン。

おひさまのやさしい匂いにうっとりしながら、仰向けにゴロン。のんきに浮かぶフワフワの雲を、スプーンでひとくち。シュッと口の中でなくなった。ほんのり甘い、お砂糖あじだ。ゆっくりと泳いでるうすーい雲も、スプーンですくう。冷たっ。こちらはソーダあじ。大きく広がるブルーの空も、味みしてみたいなぁ。スプーンより、ストローの方がいいみたい。チューーーーー。ん?パイナップル?見た目と違うから、ちょっとびっくり。そうだ、きっと昨夜のお月さまの味が、ブルーの空に残ってるんだとおもう。

 

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215

ひとり、の、ぼく。

帰宅。空気。からっぽ。水やり(葉っぱに)。ビールやり(自分に)。ふぅ。窓がらり。月と目があう。ごくり。暗闇。こころの中。落ちてる自分。落ちつく。いいきもち。とても広い。漂う。泳ぐ。気持ち野放し。今朝見た夢。残ってる。輪郭。深い呼吸。宇宙。溶け込む。あ、可笑しい。月から見たぼく。どんな顔してる。

 

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214

43秒のミステリー。

僕が指定した場所は、風の吹く断崖絶壁だった。見下ろすと、白い波が台風の目のように渦巻いている。彼女は黒いトレンチコートを着込んで、まっすぐに立っている。黒いカチューシャでおさえた髪が、派手に舞っている。僕はジャケットの内ポケットに準備したものを、さり気なく確認する。彼女の両手は、トレンチコートのポケットに突っ込んだままだ。彼女の左手が動きだすその瞬間、僕は内ポケットから小さな箱を取り出した。そしてゆっくりと蓋をあける。彼女はじっとその中を見つめている。口角を上げ、ゆっくりとうなずいた。僕のプロポーズは成功したようだ。彼女はモノクロームの空に左手をかざして、僕の耳元でそっと囁いた。「私の指、空けといてよかった」

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com