
月のバックステージは薄暗かった。
手をつなぐ瞬間より、手をはなす瞬間が、きみをかんじる。
音だけの花火が、胸に響いてとけていく。浴衣は、わざと歩きにくく作ってあるとおもった。下駄の鼻緒からはみでた白い指が、熱を逃がし中のアスファルトに触る。出し惜しみしていた夏が、やっと本気になったとたん、ソーダ水と一緒にしゅわしゅわと消えてしまうんだ。昼間のライトだった私のことばが、夜のコントラストでばれてしまう。あの角を曲がったら、秋がはじまってしまうかもしれない。用心。
手をつなぐ瞬間より、手をはなす瞬間が、きみをかんじる。
音だけの花火が、胸に響いてとけていく。浴衣は、わざと歩きにくく作ってあるとおもった。下駄の鼻緒からはみでた白い指が、熱を逃がし中のアスファルトに触る。出し惜しみしていた夏が、やっと本気になったとたん、ソーダ水と一緒にしゅわしゅわと消えてしまうんだ。昼間のライトだった私のことばが、夜のコントラストでばれてしまう。あの角を曲がったら、秋がはじまってしまうかもしれない。用心。
年上の女友達としゃべっている。
彼女は高校時代の帰り道がいかに楽しかったか、という内容をさっきから続けている。能天気なフラダンサーが描かれたポテトチップスの袋をゆっくりと開け(食べて)と私にうながす。彼女の爪のネイルはほとんどはげかけており、まるで赤い世界地図のようだった。喉が渇いてきたが、コーヒーカップは空っぽのままだ。夕方になってきて、そろそろ部屋に光が足りない。しかし、立ち上がって電気をつけにいくパワーと、何か飲ませてと頼むタイミングがみつからない。
雨上がりは、新聞紙の匂い、あるいは焚き火の後の匂い。
夕飯のピザを乗せたバイクは、水しぶきをかき分け通りを横切る。わさわさとくるったように踊っていた木々には涙型のしずくがあふれ、受験生のいる部屋からはラジオの語りが聞こえる。のら猫は肉球が濡れないように神経質に歩き、塾帰りの小学生は舌を火傷しながら肉屋のコロッケをほおばる。夕立という、地球の遊びは終わったようだ。私は流れる大きな雲より先に、走って家に帰ろう、家に帰ろう。
目の前の彼女はテーブルにひじをつき、両手で頬をおおったまましゃべり続けている。私はうなずくタイミングを用心深く計りながら、フライドポテトをつまむ。“そうなんだー”“ようすみてみたら”など、あいまいな返事の合間に1本、また1本。フライドポテトは、恋愛相談と相性が良い。“フライドポテト”という語感に明るさがあるし、ポテトを口に運ぶ動作が、物事の深刻さを少しだけ軽くしてくれる。(指でつまむのもいいが、フォークで刺して食べても可愛い)彼女の言葉を要約すると “かれがれんらくをよこさないのはどうしてなんだろう、もうだめかもしれない”ということだった。そして彼女は1本のフライドポテトを手に取り“あはは”と笑ってくれた。よかった。放課後から3時間がたとうとしていた。
ステーショナリーショップは、冷房で程よく冷えていた。長細い店内の左手には、キャンバス地の長細いスツールが設置してあって、簡単なウェイティングコーナーになっている。この店はノート一冊でも丁寧に包装紙で包んでくれるから、客はあの場所で待つわけだ。彼は包装紙のデザインが好きだった。そしてスツールに座ってじっと待つ時間も。
奥へ進みながら “今日こそはノートを買う”と、こころの中で唱えた。ノートブックコーナーの前へ立つ。分厚い表紙の黄色い一冊を手に取る。金色のリングで閉じられたそれは、ボリュームがありすぎるとおもった。次に手に取ったのは、グリーンの薄いベーシックなもの。このタイプは過去に何度か使ったことがある。使い心地は悪くはないが、なにか面白味に欠ける気がした。ノートブックに面白味を求める自分に疑問を感じながらも、次から次にノートブックを手に取っては、パラパラとページで弧を描いた。小さな風がおこって、前髪を遊ばせた。
“欲しいものが見つからない”。ノートブックを買う意欲が、あきらめの色に塗りつぶされていく。もうこのアクションを何度も繰り返している。そしていつものように、レジの横にある憧れの万年筆を一目見て店を出ていこう、と彼はおもっている。
海からあがった後はいつもそうなのだ。あるはずもない水の抵抗を感じながら歩いている。生あたたかい風に背中を押されて、木のドアをあける。カウンターには、艶のある髪を横分けにした男と、赤いサマードレスを着たマッシュルームカットの女が座っている。他に客はいない。バーテンダーが振るシェーカーだけが鳴っている。
恋人たちは何も語らない。時おり女がひざの上に抱いたぬいぐるみを「見て」と男に目配せしては、にこりと微笑み合うだけだった。女はぬいぐるみ、という年齢はもちろんとうに過ぎていた。ピンボール台のガラス面は、夕陽のオレンジ色で染まっている。
完璧に敷き詰められたふたりの空気に、ひび割れをつくってしまうのはわかっていたが、僕はアルコールを注文した。恋人たちは催眠術から覚めたように顔を上げて、ぼんやりとカウンターの中を眺めている。
木でできた救急箱を開けると、ほのかにバンドエイドの匂いがした。小さくて四角い空間に、薬たちはサンドウィッチやプチトマトのように行儀良く佇んでいる。真っ白な包帯は密やかに丸まり、オレンジ、グリーン、イエローのカプセルは風邪薬や頭痛薬。それらは色彩も美しく、透明のビンや長方形のパッケージに眠っている。細長い銀色のピンセットは、一度も使われた形跡がない。うちの家族はあまり薬を必要としていないようだった。口の中から出した人差し指の血は、いつの間にか止まっていた。木の蓋をゆっくりと閉じる。遠くで電話が鳴っている。私はそっと息をひそめている。
夕方がいよいよ終わりに近づき、夜が始まりそうな時間、彼は友達とキャッチボールをしている。薄暗い空間にボールが一瞬見えなくなるから、取りにくくてしょうがない。相手が投げた高めのボールは、グローブをかすめて草むらまで飛んでいってしまった。「わりぃ!」と叫ぶ友達の声に、片手を上げて(大丈夫!)と合図をすると、くるりと向きをかえ走り出す。
草むらに入ると長い葉っぱが、半ズボンのふくらはぎをチクチクと刺してくる。湿った土の匂いが鼻の奥に届く。白いボールはなかなか姿をあらわさない。顔をあげると、世界は真っ黒と深いグレーでできていた。その瞬間、彼は“たったひとり”だと感じた。
ティールームと名のつくところで、僕たちは向かい合って座っている。彼女は初めて見た時の方が、綺麗だと思った。髪の毛が風に吹かれていて、手でおさえながらしゃべっていたのがよかった。いま、あらためて正面から見ると、少し違う気がしてくる。とるに足りない近況を報告しあった頃、糊のきいた白いエプロンをしたウェイトレスが、飲み物を運んできた。銀の盆から2人分のソーダ水が置かれる。グラスの淵には小さくカットされたレモンが刺してある。ストローはグリーンのストライプだ。彼女はゆっくりとグラスを手に持ち、ストローからソーダ水を飲んだ。その瞬間、彼女は動いている時の方が美しいんだとわかった。
ハサミの先端が、ひんやりと額の上をすべっていく。目を閉じていてもあふれる銀色がまぶしい。切り落とされた毛先が、頬にくっついているのを感じる。美容師がやわらかな刷毛で、それらをはらってくれる。ゆっくりと目をあけると、眠そうな自分と目があう。床には髪の毛が、思ったよりたくさん散っていた。いつのことだったか。深夜タクシーの中で自分の爪を噛み、そっと窓から捨てたことがあった。(薄い三日月のような爪だった)さっきまで自分の一部だったものが、もう自分のものでなくなっていくんだ。あの爪は、どこへいったのだろう。そしてこの髪の毛は、どこへいくのだろう。
ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。
自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。
でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。
そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。
広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。
color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com
◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。
イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com