142

チョコレイトのもらい方。

僕の席とあのこの席はちょうど教室の対角線上にあって、クラスの中で一番離れている。それでも僕は、1日に1度あのこに話しかけることにしている。ジョークが面白いわけでも、足がはやいわけでも、絵が上手いわけでもない僕は、きっと印象が薄いやつ、なんだとおもう。だから、あのこにとって“なんとなく気があう”ポジションをねらってきた。

2月14日の今日は、あちらこちらでなんだかフワフワした空気。女子同士でヒソヒソ&キャッキャ。隣の席のやつは「ちょっといい?」と、顔を赤らめた女子に廊下へ呼び出されていった。あのこをチラチラと観察する。大きな動きはなさそうだ。僕にチョコをくれなくても落ち込まない。他の誰かにチョコを渡すのだけはやめてほしい。かみさま、それだけはカンベンしてほしい。

すべての授業が終わり、何事もなく僕は校庭を歩き出す。タッタと足音が聞こえてきたと思ったら、あのこが僕に追いついてきて、僕のポケットに何やら入れた。そしてタッタとかけていった。ポケットから出てきたのは小さなメモ紙。“どんなチョコが好き?明日おしえて!”と書いてあった。僕はこころの中で飛び上がった。こころの中でガッツポーズをした。あのこのこういうセンスが大好きなんだ。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

141

満員電車の山登り。

帰宅ラッシュの地下鉄。人と人のあいだにギューッと挟まれて、身体を半分くらいの薄さにしながら、人差し指と中指でピースサインをつくり、肩にかけたカバンの口になんとか風穴をあける。さぁ、ちょうどカバンの中に手首が入る格好になった。彼女は猛烈にリップクリームを取り出したい。カサついた唇に今すぐうるおいを与えたい。指先に全神経を集中させて、モノの素材を感じとる。これはダイアリー、これはハンカチ、これは鍵。カバンの中が、真っ暗なゴツゴツした岩山の風景に変わる。下に下に指先を降ろしていくと、革のポーチにたどりつく。冷たいジッパーをつまみ横に引く。指先はポーチの中に眠る細い円柱型のリップクリームに到達する。人差し指と中指でリップクリームを挟む。岩の障害物たちをかわしながら、UFOキャッチャーの要領で用心深く上へ上へと引き上げていく。もう少しでカバンからリップクリームが救出されるその瞬間。アーーーーーーッ。地下鉄は大きく前へ揺れ次の駅に止まり、リップクリームは指先から離れ、グランドキャニオンに落ちていった。彼女は深めのため息。地上に上がったらリップクリームを三度塗りしてやろうと心に誓う。

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140

Reわたし

彼女は元気が出なかった。

だからベッドの上にずっといた。

ベッドの上で少し泣いた。

ベッドの上でシュークリームを食べた。

ベッドの上で日記を書いた。

ベッドの上でマンガを読んだ。

ベッドの上でストレッチをした。

ベッドの上でバカンスの計画をたてた。

ベッドの上で水着とワンピースを買った。

ベッドの上で白ワインを飲んだ。

ベッドの上で冬眠した。

朝がきた。

鏡をみた。

肌と瞳と髪の毛が新品になっていた。

彼女はすぐに出かけたくなっていた。

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139

ナポリタンまでの距離。

エレヴェーターに乗り込む。空に浮いた小さな箱は、吸い込まれるように下降していく。夕刻の大通りを歩き出す。トレンチコートのボタンをひとつ、ふたつはずす。彼はまるでネオンライトの海を泳ぐように、器用にスイスイと前へ進んでいく。

重いドアを開けると、たちまち鈍い爆発音がこだまする。湧き上がる歓喜の声。異次元を作り出す空間。ここはボーリング場だった。彼は奥のコーヒーカウンターに進む。8脚の白いストゥールは固定されており、オレンジ色のカウンターは半円を描いている。「バドワイザーとナポリタン」彼は座ると同時に注文する。「あなた最後にボーリングをしたのは、いつ?」還暦を過ぎたママは相変わらずの美人だ。豊かな髪は栗色に染まり、透明感のある肌は品を醸しだしていた。

「20年くらい前かな」「飽きもせず、ボーリング場のナポリタンを食べ続けてくれるのね」彼はここの冷たいビールと真っ赤なスパゲッティナポリタンを味わうためだけに、ボーリング場にもう何十年も通っているのだった。

彼はボーリング場の音が好きだった。それは破壊と再生の音。どんなBGMよりも心地いい。冷えたバドワイザーをグラスに注ぎながら、彼はぼんやりと考えていた。この感覚と似ているもうひとつの場所がある。それはガソリンスタンドのウェイティングスペースだ。簡単なソファーに座り、自動販売機から出てくる紙コップのコーヒーを啜るのがたまらなく好きだった。ある惑星の一番端に確保された自分の居場所。ボーリング場もガソリンスタンドも、本来食事をしたりコーヒーを飲む場所ではない。サーヴィスとしてのささやかな場所だ。この距離感がたまらなく心躍らせるのだ。銀色の皿にのった真っ赤なナポリタンが、いま目の前に届いた。

 

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138

マヨネーズの最終回。

うちに来たときには、

ふっくら丸顔でつやっつやで。

テーブルに佇んでいるだけでサマになった。

うちの家族はあなたのことが大好きだから、もう取り合いでね。

あなたはあっという間に痩せていっちゃった。

お腹がへこんでもう自分で立てなかった。

いよいよ息子があなたに空気を入れて、逆立ちさせたわ。

そうしたら少しだけ元気になったわね。ありがと。

すべてを出しきったのは、

今朝のハムとキューリのサンドイッチのときだった。

最終回のあなたは素晴らしかった。

とてもすがすがしい顔をしていたわ。

 

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137

終わりから、はじまる。

シューシューとお湯の沸く音に包まれた、ちいさな映画館。彼女は入り口のちいさな窓ごしに座り、今年最後の回の切符を切っている。もう少ししたらこの窓に、ちいさなカーテンをひく。そうすれば今年の勤務はおしまい。ときおり映画の本編の音が聞こえてくる。クライマックスにさしかかっているのだろうか。

映画が好きでついた仕事なのに、逆に映画を観なくなってしまった。目を輝かせて切符を買う人たちを、映画館の中に送り込んでいくうちに、いつのまにか世の中の観客になってしまったようだ。たったひとりの観客に。

彼女が今年最後の幕引きをしようとしたとき、ちいさな窓の下から手が入ってくるのが見えた。「申し訳ございません。もう終わりなんです。」その手は彼女の手をぎゅっと掴んだ。反射的に彼女は手を抜こうとしたけれど、無理だった。冷たい大きな手の持ち主は、春に別れた恋人のものだった。「やっぱり終われない、終われないんだ。」彼の言葉はどんな映画のセリフよりも、彼女の胸に染み込んでいく。ちいさな窓は、ふたりの熱で曇っていく。

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136

わたしは女優。

両手の指先のもっと先まで伸ばして踊るの。

あごの角度、首筋と腰のラインが美しいのはわかってる。

子猫よりも軽やかに歩くこともできるの。

長い睫毛をゆっくりあげて、

じっとキャメラを見つめると、

監督が喜ぶことも承知だけれど。

わたしの目の奥にいるわたしのこと、誰も知らない。

海も、空も、太陽も、風も知らない。

知るわけがない。

いつも1mmだけ残してる。

受動の奥にある能動。

手のひらの短い生命線をたどっていくと、

自由がひろがってること知っている。

うっとりとため息をついてしまう。

 

*アンナ・カリーナに捧ぐ。

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135

小指くらいの小さなはなし。

わたしのいちばんどこがすき、と聞かれたから。

僕はマグカップを持つ指のカタチが一番すき、とこたえた。

ガールフレンドの顔はぐんぐん曇っていった。

そしてコートをひるがえして去っていった。

どうして。性格や顔なんかより、

指のカタチが何よりも大切な男だっているのだ。

指ってそのひとらしさ、そのものだとおもうから。

そうだ、僕はガールフレンドの指にふさわしいリングを買おう。

小さな箱につつんでもらおう。

彼女はあの指で受け取ってくれるだろうか。

 

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134

顔。

鏡の前にたつ。

自分の顔をじっとみる。

面白い顔をしている。

明るさと暗さが同居している。

黒目がつやっとしている。

自分のこころのすみずみまで、

見透かしているような。

口を縦に伸ばしてみる。

少しのん気さがでる。

口を横に伸ばしてみる。

笑っているようだ。

こいつは誰だ。

ずっとこの顔と生きてきた。

この顔は確かに自分なのだけれど。

この指も、首も、脚も。

馴染みがあるはずなのに。

初めて会った人物のような気がする。

右手を上げてみる。

命令すると動くけれど、

誰が命令しているのだろう。

自分はどこにいるのだろう。

自分はこの目の前の物体の中に、

入り込んでいるのだろうか。

脳の中に潜んでいるのだろうか。

こころ細い奇妙な感覚が、

じわじわと全身を占領していく。

自分はどこから来て、

どこに行くのだろう。

子どもの頃からずっと抱いていた謎が

まったく明かされないまま、

こんなに生きてしまった。

顔をじっとみる。

何もわからない。

 

 

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133

覚悟運動。

冷たい空気をたっぷり吸って。

細くゆっくりはいて。

胸の真ん中をぐーっとひらいて。

頭をいい位置にのせて。

遠くの風景を眺めて。

両腕をだらんと下げて。

手のひらはふんわりのパァーにして。

肚の底から湧いてくるのはなに。

反省なんかじゃないね。

じぶんの中からきこえてくる。

やりたいこと、やっていいよ。

やりたいように、やってみれば。

賞味期限切れの思考は、

今日すべて捨てた。

 

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com