136

わたしは女優。

両手の指先のもっと先まで伸ばして踊るの。

あごの角度、首筋と腰のラインが美しいのはわかってる。

子猫よりも軽やかに歩くこともできるの。

長い睫毛をゆっくりあげて、

じっとキャメラを見つめると、

監督が喜ぶことも承知だけれど。

わたしの目の奥にいるわたしのこと、誰も知らない。

海も、空も、太陽も、風も知らない。

知るわけがない。

いつも1mmだけ残してる。

受動の奥にある能動。

手のひらの短い生命線をたどっていくと、

自由がひろがってること知っている。

うっとりとため息をついてしまう。

 

*アンナ・カリーナに捧ぐ。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

135

小指くらいの小さなはなし。

わたしのいちばんどこがすき、と聞かれたから。

僕はマグカップを持つ指のカタチが一番すき、とこたえた。

ガールフレンドの顔はぐんぐん曇っていった。

そしてコートをひるがえして去っていった。

どうして。性格や顔なんかより、

指のカタチが何よりも大切な男だっているのだ。

指ってそのひとらしさ、そのものだとおもうから。

そうだ、僕はガールフレンドの指にふさわしいリングを買おう。

小さな箱につつんでもらおう。

彼女はあの指で受け取ってくれるだろうか。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

134

顔。

鏡の前にたつ。

自分の顔をじっとみる。

面白い顔をしている。

明るさと暗さが同居している。

黒目がつやっとしている。

自分のこころのすみずみまで、

見透かしているような。

口を縦に伸ばしてみる。

少しのん気さがでる。

口を横に伸ばしてみる。

笑っているようだ。

こいつは誰だ。

ずっとこの顔と生きてきた。

この顔は確かに自分なのだけれど。

この指も、首も、脚も。

馴染みがあるはずなのに。

初めて会った人物のような気がする。

右手を上げてみる。

命令すると動くけれど、

誰が命令しているのだろう。

自分はどこにいるのだろう。

自分はこの目の前の物体の中に、

入り込んでいるのだろうか。

脳の中に潜んでいるのだろうか。

こころ細い奇妙な感覚が、

じわじわと全身を占領していく。

自分はどこから来て、

どこに行くのだろう。

子どもの頃からずっと抱いていた謎が

まったく明かされないまま、

こんなに生きてしまった。

顔をじっとみる。

何もわからない。

 

 

*「電車は遅れておりますが」 は毎週火曜日に更新しています。

 

133

覚悟運動。

冷たい空気をたっぷり吸って。

細くゆっくりはいて。

胸の真ん中をぐーっとひらいて。

頭をいい位置にのせて。

遠くの風景を眺めて。

両腕をだらんと下げて。

手のひらはふんわりのパァーにして。

肚の底から湧いてくるのはなに。

反省なんかじゃないね。

じぶんの中からきこえてくる。

やりたいこと、やっていいよ。

やりたいように、やってみれば。

賞味期限切れの思考は、

今日すべて捨てた。

 

 

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132

ケーキのシネマ。

3階建てのケーキの2階に住んでいる白いクリームは、屋上でツンとすましたイチゴがうらやましかった。いつもスター気取りで、みんなの視線をあびて、ずるい。2階の白いクリームは、パティシエが目を離したすきに屋上まで自力で登った。そして真っ赤に輝くイチゴの上におおいかぶさった。イチゴは何か叫んでいたけれど、白いクリームはかまわず身体をのばした。3階建てのケーキはすべてが真っ白におおわれた。

ふくよかなご婦人がショーケースの中に目をとめた。「まぁ美しいケーキだこと!」白いクリームはニヤリとした。すると耳もとからイチゴの声が聞こえた。(真っ白な世界から、真っ赤な私が顔を出した時の感動ったらないわね)確かにそうだ。真っ赤なイチゴが、いっそう映えるシチュエーションだ。白いクリームは悲しくなってしまった。どうころんでもイチゴは主役なんだ。自分はどうせ脇役にしかなれない。

パティシエはいつのまにか誕生したケーキを見て、目をまるくしていた。「傑作だ!このケーキにはドラマがある。」ケーキには “雪の中の宝石”という名前がついて、街じゅうの人気をさらった。真っ赤なイチゴがふわっと登場する瞬間をイメージしながら、白いクリームは巧みに身体をのばした。白いクリームは楽しかった。ジェラシーはいつのまにか消えていた。

 

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131

ある喫茶店のある会話。

よく喋る男と、まったく喋らない女が、向かい合って座っている。よく喋る男はますます喋りの熱が上がり、まったく喋らない女は相変わらず黙り込んでいる。男は身振り手振りも大きくなり、踊り出すほどだった。女がひとこと、言葉を発した。男は口を閉じ、目を見開き、頰を紅潮させ、噛みしめるようにうつむいた。女のひとことは男の話を止めた、というより、男の気持ちを落ち着かせたらしかった。話の内容はさだかではないが、そういうことらしかった。ふたりは冷めたブラックコーヒーを飲んだ。ふたりは店を出て手をつないだ。そして区役所に向かった。

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130

黒いタートルネックの女。

黒いタートルネックの女は、首も肩も胴も細い。薄いシルエットが浮き彫りになっている。黒いタートルネックの女は、ほの暗いバーのカウンターに座っている。少しの振動でも割れてしまいそうなカクテルグラスを、チェリーピンクに染まった唇にあてる。

黒いタートルネックの女は、自分の部屋の様子を細部まで想い起こしている。椅子の背もたれにかかったタオル、飲み残しのコーヒーカップ、シーツの皺、ピスタチオの殻、床に散らばったレコード。さっきまで一緒だった男とつくりあげた部屋の気配を想い起こしている。それらの気配を1ミリも壊したくなくて、ひとりでバーに来た。男とつくりあげた気配は、どんなアートより芸術的で魅惑的なものだった。

黒いタートルネックの女は、カウンターごしのバーキーパーに尋ねた。「頭の中にある風景を、ずっとそのまま記憶できる魔法のカクテルはないかしら」バーキーパーはゆっくりと頷いた。目の前に届いたのは、星のように細かく砕いた氷が泳ぐ、透明に輝く美しいカクテルだった。(これは…) 黒いタートルネックの女の喉におちていく液体は、紛れもなく氷水だった。バーキーパーはひとこと添えた。「夢から覚めてください」fin

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

129

大人の反抗期。

人混みを歩かない/郵便物をあけない/聞こえないふりをする/傘をささない/コーヒーを10杯以上飲む/買い物をしない/電話に出ない/ロードショーが終わってしまうのに映画館に行かない/すぐにテレビを消す/お世辞の言い方を忘れた/お金がないのに銀行に行かない/床が冷たくても靴下を履かない/夏休みをとらない/夜中にハムエッグを食べる/ブルーベリージャムを壁にぶちまける夢をみる

 

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128

服がない、服がない、服がない。

雨上がりの街で僕は服を探し歩いている。4軒もの店をハシゴしたけれど、試着まで行きつく服には出会えなかった。自宅のクローゼットをひらいても、着る服がない。街じゅうの服を見て歩いても、着る服がない。(これはもしかして自分に問題があるのだろうか)そんな気弱な発想が、疲労感いっぱいの身体に染み込んでいく。

最後の希望をかけて、5軒目の店に足を踏み入れる。こうなったらもう人頼みだ。店内を見渡し、一番綺麗な顔立ちで一番気立ての良さそうな女性スタッフを見つけて声をかける。「今の季節にいい、セーターとパンツを探しているんです。」女性は口角を少し上げ「かしこまりました」と答えると、店の奥に進んだ。

いくつかの候補の中から、あっけないほどスムーズに服が決まった。大きな鏡の前にたった僕は、濃紺のカシミヤのセーターと、煉瓦色のコーディュロイパンツを身につけていた。サイズも着心地も雰囲気も見事にフィットしている。女性は「お似合いですね」と、また口角を上げて微笑んだ。「明日、大切な用事があるんです。いい服が見つかってよかった。」僕は女性にお礼を告げた。

服が入った包みを両手で僕に手渡すと、女性は出口の方へ促した。「私の両親好みの服を選びました。」僕のプロポーズを承諾してくれた目の前の女性は、いたずらっぽい目でささやいた。「じゃ、明日ね。」結婚する前から、僕は彼女にコントロールされているのかもしれない。

 

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127

ポーカーフェイスと秋の入り口。

僕たちは秋が濃くなっていく道を歩いている。彼女は制服の上にカーディガンをはおっている。あずき色とからし色の落ち葉が、じゃれ合いながら風に飛ばされていく。さっきは喫茶店で彼女のココアをひと口もらった。飲んでみて、の言葉どおりに、素直に。カップを持つ手が震えないように、用心深く飲んだ。

夕暮れの空に、信号機の青がまばたきをはじめる。こんな時は素早く渡った方がいいのかな、なんてことを考えていると。彼女は歩く速度をゆるめていき、横断歩道の前でぴたりと足を止める。一緒にいられる時間が何秒かのびだ。彼女の横顔は相変わらずポーカーフェイスだったけれど、うれしかった。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com