295

あとどのくらいで夏だっけ。

夏ってどんなふうだっけ。逃げ場がないほど明るくて、サンオイルの香りが街じゅうに漂ってたっけ。透明なソーダを毎日飲んでたっけ。白いショートパンツで、ラジオにあわせて踊ってたっけ。約束をいくつもして、デイトのはしごで忙しかったっけ。裸足でソフトクリームをなめながら、塀の上の茶色いネコにあいさつしたっけ。もう、夏がどんなふうか忘れてしまった。ただ、とてつもなく素晴らしいものらしい。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

294

夢なら覚めないで。

ふとんにくるまって、素晴らしい夢の続編を見たくて、しっかりと目をとじていたのだけど、お腹が空いているのが気になって(ぐぅ……)、ふたたび眠ることに集中できなくて、泣く泣くベッドから起きてきた。もう空腹のやつめ。お湯を沸かしインスタントコーヒーをつくり、パンの上にチーズを乗せてトースターで焼く。さぁ、朝食だ。と、電話が鳴る。え?朝から誰?「おれ、です。昨日はライブに来てくれてありがとう」「あ…握手してもらえて嬉しかったです!」「今日、ブランチでもどうかな、って思って」「喜んで!」「仕事は大丈夫なの?」「休みます!!」奇跡だ。電話をきって、思わずほっぺたをつねる。こういう仕草、ドラマで見たことあるけど、私もやるんだ。妙に客観的に感動している自分がいる。ぐぅ、ぐぅ、ぐぅ。私のお腹がまた鳴りはじめた。 [語り:ケータイの目覚ましアラームは、その後45分間も鳴り続けたのであった。ぐぅ、ぐぅ、ぐぅ…]

 

 

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293

自然ジム。

澄みきった空気をスーーハーー、からだじゅうに送り込む。輝く水をゴクリゴクリ、皮膚のずっと奥まで染み込ませる。大地の上をピョンピョンピョン、骨が喜んで前へ前へ。あのモヤモヤは、ポーンと空に飛ばしちゃお。生きてるだけで、鍛えてる。生きてるだけで、めぐってる。

 

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292

フライドエッグ仲間。

屋根裏部屋で目玉焼きを焼いていたら、小鳥さんが窓をつつくものだから、あ、ちょっと待って!と叫んだの。なのに、小鳥さんはつつくのをやめないから、しかたなく振り返ると。お空に大きな目玉焼きが、ゆっくりゆっくりと流れていくではありませんか。黄身の上に寝そべったネコのリリックが、こちらに手を振っている。おーーーい!私は急いでフライパンを取りにいって、これこれ!と、いい焼き加減の目玉焼きを見せた。偶然ってあるものだ。小鳥さんは満足げに片目を閉じて、お空に高く飛んでいった。

 

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291

ミッドナイトモーニング。

落ちに落ちたとき、絶望の一番底にいたとき。まさか、数ミリ先にヒカリが待っているなんて、思うはずもなく。特殊なブザーが聞こえない限り、真っ暗な液体に飲み込まれていくのだと。重くて、トロリと、深い、闇。それでも息だけは、する。息だけは、する。と、ちいさな風が吹いてきて、ちいさな風景が見えてきて。ものごとはずっと続かないのだ、ということに気づく。いいことも、よくないことも、ずっと続かないことを知らされる。細胞だって、いま、新しいものがうまれた。

 

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290

ぼんやりふたり飲み。

ぽつりぽつり語ったあと、シーンと沈黙。突然、ひとりが思い出し笑い、からの、ふたりで大笑い。からの、シーン。こんな感じのサシ飲みって、ゼイタク。いいこと報告しなくちゃ、とか、久々会ったんだから面白い相談を披露しなくちゃ、なんて必要ない。つまらないのが心地よい、ぼんやりサシ飲み、いかが。

 

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289

マイ・パトロール。

お湯をシューシュー沸かしながら、じぶんの中をパトロール。じぶんの中にぐんぐん潜って点検ちゅう。頭の中は思考のしすぎで少々空回りしているなぁ。(お疲れ気味だなぁ)目の奥は新しい風景を見たくてうずうずしてる。(感動的な景色見せてあげたい!)こころは頭と同じ方向むいていなくて、意外にもどっしりずっしりと落ち着いてるみたい。(もう少し軽くなってもいいなぁ)両足は寒空の中、いまにも駆け出しそう!(おぉ元気!)じぶんのカラダの中のみんな〜。それぞれ声かけあって、もうひとがんばりしちゃおう。

 

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288

ひとつ、ふたつ。

いきていると、まようね。じぶんのこと、わからない。なにをほしいかも、わからない。ほしいものは、あるはず。ほしのかずほど、あるはず。でも、いちばんほしいもの、なんだろ。いちばんほしいもの、わからない。ひとつ、ふたつ、かぞえてみる。まっくらなよぞらに、かぞえてみる。ひとつ、ふたつ。わからない。

 

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287

行き先を決めない夜。

TOKYOの端っこのバルでアルゼンチンタンゴに身を任せながら、シードルを2杯。ジャン=リュック・ゴダールの映画で何が一番好きかという話題を盗み聞きしながら、ジントニックを1杯。先輩がステンカラーコートを頭までかぶって雨の中に駆け出していった光景をリマインドしながら、ラフロイグのロックをすすっている。どこにも着地しない思考の自由。つづく。

 

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286

無言の伝言。

秋風はあのこのほっぺためがけて”ぴゅーっ”と吹いた。かなしいことの後は、うれしいことあるよ!って伝えたかったから。そして、かなしいことの中身は、うれしいことの種が混ざってるよ!って伝えたかったから。あのこは目を細めて迷惑そうにしている。その顔があまりにも可愛らしかったから、秋風はもうひとつ小さな風をおでこに吹きかけた。大丈夫だよ!

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com