335

一年のスープ。

春からコトコト煮込んできたスープ。完成まであともう少し。しょっぱい想いも、酸っぱい想いも、あま〜い想いも、全部まとめてコトコトコト。余裕がなくて具材を丁寧に切れなかったことも、ぼーっとして鍋を焦がしそうになったことも、きっと“今年あじ”のスパイスになってる。自分にしかつくれない、一年のスープ。一年の終わりにじっくりフーフー味わうために、もう少しだけがんばろ。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

334

映画のためのカーディガン。

お嬢様。色違いもございます。カフェオレ色とミントグリーン。どうぞ鏡の前でお顔映りをご確認ください。熱烈な恋愛映画を観に行かれるのでしたら、ミントグリーンがおすすめです。あえてクールなイメージで調整された方が、魅力が増しますよ。タフなギャング映画でしたら、カフェオレ色が良いかと。お嬢様のやわらかな雰囲気が、映画との素敵なギャップを生むかと存じます。まだ何を観るのか決めていらっしゃらない?そうしましたら、粋なブラックはいかがでしょう。映画が始まるとき、一瞬だけ真っ暗になるあのドキドキ感を表現しているカーディガンです!

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

333

感じのいい注意書き。

約束の日が近づいてくるにつれ、行きたくなくて憂鬱になってきたら、嘘をついてでも約束を破ってください/眠れない夜は、寝ないでください/歌いたい歌を歌ってください。たとえ下手でも3分間は誰でも我慢できます/こんな時間にお菓子を食べたり、ワインを飲んだり、罪悪感たっぷりなことをして”あぁ生きてる!”を感じましょう/意地悪なことを考える自分を正直者だと褒めてあげてください/廊下を走りましょう。運動になります/無駄遣いをしましょう。あなたが無駄遣いしても、地球は滅びません

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332

連鎖反応。

あのひとがあくびをしたから、あくびがうつった。あのひとがため息をついたから、ため息がうつった。あのひとがしょんぼり顔をしたから、しょんぼりがうつった。私が思い出し笑いをしたから、あのひとに笑いがうつった。あのひとがアハハと笑った。よかった。

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331

悲しみ方を知らない。

彼は偉大な人物を知っている。古くからの友人Nだ。Nの何がそんなに偉大であるのか。それは自分の中の“悲しみの感情”を、真正面から受けとめる才能があることだ。しかもNはすべてを受けとめるほどの器を持ち合わせていないので、器はすぐにひび割れて、隙間からボロボロと涙がこぼれ落ちる。Nは涙を拭くこともせずに、ただただ悲しみの底辺まで到達するのだった。しかし、しばらくすると“気が済んだ”としか言いようのない(涙を枯らすという)復活方法で、また歩きはじめる。時には口笛を吹きながら。彼はそんなNをそばで見ていて、羨ましいと思わずにはいられなかった。彼は自分の弱さから逃げる、という方法でずっと生きてきたから。自分の中の弱い部分に蓋をして、自ら鈍感であることを選び続けてきたのだ。そして(まぁまぁな出来事が起こってしまった)今夜も、自分に蓋をしたまま、缶ビールのプルトップを開ける。ほの暗い部屋で、そっと息をしながら。悲しみ方を知っている、偉大なNのことを思い浮かべながら。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

330

見た目と真逆。

へいきです!という人は、一生懸命へいきなふりをしているなぁ。だいじょうぶです!という人は、だいじょうぶと自分に思い込ませているなぁ。わはは!と笑う人は、ひとりになると体育座りで泣いている。さびしくないよ!と伝える人は、そばに居てほしいと叫んでる。こころの中は、外側からはわからない。こころの中を見せること、何よりもいちばんむずかしいこと。

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329

あの歌を聴くと。

あの歌を聴くと、身体じゅうが目を覚ます。あの歌を聴くと、あの時の空気に包まれる。あの歌を聴くと、治った傷がズキズキと反応する。あの歌を聴くと、もう一度がんばってみようとチカラが湧いてくる。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

328

ホームワーク。

ベッドから起き上がると、真っ先に湯を沸かす。コーヒー豆を削り出し、香りを確認する。やかんを回しながら、一滴一滴落としていく。この瞬間だけは、頭をからっぽにする。熱いコーヒーとバタつきパンの朝食をすますと、扉を開け庭へ出る。野鳥たちに餌を撒き与え、青空の色を胸いっぱいに吸い込む。今日やること。それは、自分の人生を生き抜くこと。ただそれだけ。

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327

こころの天気予報。

朝からファンデーションのノリもいいし、ラッキーナンバーも見たし、今日はいい日になりそう。自信満々で、胸を張って家をでる。なのに、誰かの小さな言葉がきっかけで、こころの中に暗い雲がたち込めてきて。ポツポツ…ザーーーーーーーーッ。あぁ、なんてことだ。立ち直るための傘もない。次から次に心配事がわいてきて、すべてが上手くいかない気がしてくる。(あれ?雨、上がった)うっすらヒカリがさしてきたのも、小さな言葉がきっかけだった。こころの天気は、言葉によってころころ変わる。

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326

ヒップスターの悲劇。

当時、彼女が羽織っていたツイードのジャケットは、古着屋で選び抜かれた一着であったし、スクールガールをおもわせるボックスタイプのミニスカートは自身による手製のものだった。長い前髪を横に分けてピンで留め、そばかすを活かしたライトなチークにダークなルージュをひき(口紅だけはゲランにこだわった)、童顔の甘さを抑えたシックな印象にまとめ上げていた。彼女はこの街のピップスターだった。無名のカリスマ。誰もが彼女のルックを真似しては叶うことなく、鏡の前で落胆のため息をつくのだった。彼女は金では買えない「センス」という財産を持ち合わせていたのだ。しかし5年後、この街に現れた彼女は大富豪との結婚により大きく様変わりしていた。目を覆いたくなるほど眩し過ぎる時計とジュエリー、一目でわかるブランドのロゴマークが盛大に貼り付いた服とハンドバッグ、ピンピールにはダイヤモンドの粒が埋め込まれていた。高級車か自家用ジェットでしか移動しないため、贅肉も浮き上がっている。眼差しの鋭さは消え去り、トロンとした受動態の気配に変わっていた。彼女は金で買えない「センス」というものを、金によって失ってしまった。あるいは金によって、センスのバランスを崩してしまったのだ。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com