エレヴェーターに乗り込む。空に浮いた小さな箱は、吸い込まれるように下降していく。夕刻の大通りを歩き出す。トレンチコートのボタンをひとつ、ふたつはずす。彼はまるでネオンライトの海を泳ぐように、器用にスイスイと前へ進んでいく。
重いドアを開けると、たちまち鈍い爆発音がこだまする。湧き上がる歓喜の声。異次元を作り出す空間。ここはボーリング場だった。彼は奥のコーヒーカウンターに進む。8脚の白いストゥールは固定されており、オレンジ色のカウンターは半円を描いている。「バドワイザーとナポリタン」彼は座ると同時に注文する。「あなた最後にボーリングをしたのは、いつ?」還暦を過ぎたママは相変わらずの美人だ。豊かな髪は栗色に染まり、透明感のある肌は品を醸しだしていた。
「20年くらい前かな」「飽きもせず、ボーリング場のナポリタンを食べ続けてくれるのね」彼はここの冷たいビールと真っ赤なスパゲッティナポリタンを味わうためだけに、ボーリング場にもう何十年も通っているのだった。
彼はボーリング場の音が好きだった。それは破壊と再生の音。どんなBGMよりも心地いい。冷えたバドワイザーをグラスに注ぎながら、彼はぼんやりと考えていた。この感覚と似ているもうひとつの場所がある。それはガソリンスタンドのウェイティングスペースだ。簡単なソファーに座り、自動販売機から出てくる紙コップのコーヒーを啜るのがたまらなく好きだった。ある惑星の一番端に確保された自分の居場所。ボーリング場もガソリンスタンドも、本来食事をしたりコーヒーを飲む場所ではない。サーヴィスとしてのささやかな場所だ。この距離感がたまらなく心躍らせるのだ。銀色の皿にのった真っ赤なナポリタンが、いま目の前に届いた。
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。