123

こころのグラデーション。

夕暮れが夜に溶けこんでいく帰り道。なまあたたかい空気に、少しだけ秋が混じってる。彼女のトートバッグには、さっき買った1.4ミリのスパゲッティ。持ち帰った書類。なくなりそうな口紅。そして、ほぼ、からっぽのこころ。夏がおわりに近づくにつれて、彼の声も聞こえなくなっていった。グラデーションのように、だんだんと。無邪気に電話してみようか。元気?って。彼女はこころのなかで、何度も彼と会話をしてみる。でも、はずむような、たっぷりとヒカリを含んだ声はもうだせない。たった数週間で、彼女は別人になってしまった。夜に染まった空に、黄色い月をみつける。彼女はまだ、夏の階段の踊り場に立っている。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

122

スクリーンテスト。

娘はハリウッドに歩いてやってきた。夜空の星を齧り、太陽を舌でころがしながら。人をメロメロにする技術をポケットに入れて。そしてあっけなく大物プロデューサーと出会う。「スクリーンテストをしよう」スタジオはひんやりとしていた。3台のキャメラは彼女をとらえる。なんの演技もするな、というルール。顔と身体の骨格をみるのが目的らしい。キャメラがぐっと近づいてくる。彼女は睨みつける。そして左目に涙の玉が膨れ上がると、透明に輝きながら頰の上をツーっと滑っていく。なんの演技もしないなんて、彼女にはできなかった。そうしないと数分のスクリーンテストが、退屈でたまらなかったから。fin

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121

夕立の味。

ゴロゴロゴロと空がうなっている。雲は眉間にシワをよせている。彼女は走り出す。シャンシャンシャン。背中のランドセルがリズムを刻む。筆箱と教科書も一緒に跳ねている。ゴロゴロゴロがいよいよ大きくなってきた。

ザーーーーーーーーザーーーーーーーーザーーーーーーーー

とうとう空は泣き出してしまった。大きな涙がたくさん落ちてくる。街じゅうの色がどんどん濃くなっていく。女子高生たちが「キャー!」と大騒ぎしている。彼女は走るのをやめて立ち止まる。泣き狂う空を見上げる。口をアーンとあけてみる。涙の味を確かめてみる。コップの水よりあまい気がした。

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120

サンドイッチ・ストリート。

彼は通りを歩いている。一本の大きな風が吹いてくる。空からニューヨークタイムズが飛んできて、足元に絡みついてくる。彼は前へ進めなくなってしまう。右足、左足、交互に踏み出すのだが、新聞紙が全力でせき止める。彼は帽子が吹き飛ぶのを恐れ、右手で素早く抑える。目を糸のように細めながら。しかし風の勢いはあっけなくゼロになる。新聞紙は何事もなかったように地面にへばりつく。ピンクとブルーのうさぎが新聞紙を拾い上げる。裕福なうさぎは新聞を読む習慣があると、昨日ラジオで聞いた。彼は空腹を思い出す。サンドイッチが食べられる店を探すことにする。「白いパンに常識というものを挟んであげるわ」と冷たい目線で言い放つ女給がいるカフェがいい。彼は全体で部分を知り、部分からだいたいの様子を知る訓練をしていた。雨がきそうな匂いを鼻の奥で感じながら、ジャケットの裏に刺した万年筆からブルーの液体が漏れていないか気がかりになる。

 

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119

パーマネントサマー。

天井でまわるプロペラが、ぬるい風を送っている。バーテンダーの振るシェイカーが、頭の後ろを心地よく刺激する。彼女はパズルを解いている。考えるのが不似合いな彼女には、向いていない遊びだ。彼はゆっくりと立ち上がり、ピンボール台の前に立つ。ガラス面に映る彼は完璧に美しかった。年をとる気配など1ミリもない。この顔がこの腕が、しなびていく予感などない。誰かが言った、人生は春夏秋冬だと。でも、彼の一生は夏しかない、と本気でおもう。明日のこともわからないのに、未来のことなど想像できるわけがない。何も決めたくない。ピンボールは景気良く弾き続け、オレンジと紫のヒカリが交互に瞬いている。夕暮れが降りてきて、空の色がやっと彼のこころと馴染んできた。

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118

待ち合わせには小説を。

喫茶店のドアが開くたびに、こころが飛び上がる。今日は彼女と初めての待ち合わせ。彼は単行本を片手に、ずっと同じページを開いたままだ。ふだん小説など読まない彼だけど、“本を読んで待っている俺”でいたかった。“本に熱中して彼女が入ってきたことに気づかない俺”でいたかったのだ。

チリリン。ドアベルが鳴る。時間ぴったり。今度こそきっと彼女だ。振り返るのを我慢して本のページに目を落とす。「ごめんなさい!待った?」顔を上げると、髪をアップにした彼女。(ううん、本、読んでたから大丈夫)という言葉が出てこない。キラキラと輝く彼女の笑顔に、すべての台本が飛んでしまった。

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真夜中のチョコレート工場

ぷくぷく ぷくぷく ちいさな爆発音たてながら 浮かび上がってくる 真夜中のチョコレート工場 夜空はふたつにわかれ 大きな煙突がそびえたつ みんなが寝静まっているうちに 地球一日ぶんのチョコレートをつくるのだ 月のあかりで とろとろと溶かして ねこ うさぎ 小鳥のカタチのチョコレートが つぎつぎにできていく 太陽が目を覚ますまえに しずかにしずかに チョコレートをつくるのだ 最後は工場じたいが溶けていって 大きな板チョコをつくるのだ ちょっとビターな真夜中あじの チョコレートは大人気

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116

7293番地の角を曲がったら。

まっすぐに歩いていくつもりが、次の角を曲がってみたくなる。このまままっすぐ行けば、安心な場所に到着するはずなのに、どうしてもあの角を曲がってみたくなる。こころが身体に勝って、7293番地の角を曲がってしまった。

まるで見たことのないセカイ。胸の真ん中あたりがドクドク波打つ。自分の居場所なんてどこにも見当たらない。すべての感覚が立ち上がってくる。ヒリヒリと痛みを感じつつも、この体験が自分に必要であることだけはわかった。

 

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115

デリを買ってかえろう。

今夜は何食べる。何作る。それともどこかで食べて帰る。ううん、なんだか今日はイエ気分。賛成。生ハムなんて買ってみる。たしか冷蔵庫に白ワインあったはず。うわぁ急にお腹すいてきた。サーモンとブロッコリーのマリネもいいね。コロンとしたクリームコロッケもおいしそう。ローストビーフをちょこっと買おうか。黄色いカラシをつけて食べようよ。ついでにお花も買って帰ろうか。いいね。可愛いピンクのお花がいいな。(彼女は本日3人の男性から夕食を誘われたがすべて丁重に断った。なぜなら彼女はひとりで夕食を楽しむ才能があったから。)

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サンドレスの準備。

太陽がじっくりと焼いた砂浜を、裸足で確かめてみる。アチッ!と右足の裏側が悲鳴をあげたから、今度は左足の裏側をくっつけてみると、やっぱりアチッ!となるわけで。すると、右足、左足、と交互にアチッ!アチッ!となるうちに、彼女は海に向かってほとんど走り出していた。意味もなく大笑い。(頭の部品が飛んじゃった)波打ち際に足を浸すと思いのほか冷たくて、ふぅー。めりめりと砂の中に埋もれながら、海と同じ呼吸になれた。準備してきたパイナップル柄のサンドレスは、ディナーの時に着るつもり。「あ、あたしいま、悩みゴトがいっこもない」彼女は自分のおめでたさに感謝した。

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com