199

気の抜けた、空気の中で。

シュワシュワのソーダ水を、

透明なグラスにゆっくりと注ぐ。

ワーッと泡が山盛りになったあと、フーッと沈んでいく。

ひとくち口に含んで窓をあける。

ツィーツィーピィーと鳥の声。

姿は見えないけど、きっとカラフルな美しい鳥。

ブルーのストライプシャツは青空とおそろい。

デートをすっぽかしてしまった。

(いちおうれんらくはいれたけど)

ぼんやりとひとりでこの部屋にいたかった。

ひとりで彼のことを思いめぐらすのが、ちょうどよかった。

ソーダ水のシュワシュワは弱まって、甘くなっていた。

うん、このくらい、がちょうどいい。

気の抜けた空気に、じぶんを野放しにする。

こういう時のほうが生きてるなぁと感じる。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

198

ひらめきはどこからくる。

くすんだピンクの空にカミナリがとどろく。

冷蔵庫の一番奥で氷が完成する。

パン屋の棚から最後のバゲットがなくなる。

プールの水が抜かれる。

飛行機が滑走路から3センチ浮く。

少女がヨーグルトのふたをなめる。

ニュースキャスターが原稿を読み間違える。

電話が一回半鳴る。

クリップが箱ごと床にまき散る。

じっとしていても世界は動いている。

そしていま、頭の中にインスピレーションが浮かぶ。

人生の転機となるほどのひらめきだ。

それは世界の動きと直接関係ないとは言いきれない。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

197

パフェ・ダイビング

アイスクリーム沼にずるずると沈んでいくと、ゼリーの大群に出会った。

夢のように泳ぐ色とりどりのゼリーをかきわけていくと、

トロリとしたメロンの岩にぶつかる。あまい。ひとやすみ。

ラム酒をきかせた大人のチョコがちょっかい出してくるので、

やんちゃなイチゴまで一気に到達することにした。

底に手をついた印に、ラスベリーをいっこ持ち帰ろう。

ふーっ。地上では熱いエスプレッソが待っていてくれた。

ひとくち飲んだら、もう一回潜るつもりだ。

 

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196

こころのクレンジング。

きれいを磨くために、

お水をぱしゃぱしゃあたえても、

こくのあるクリームを塗りこんでも、

ゴッドハンドでマッサージしても、

ビタミンたっぷりのいちごを食べても、

脂ののったお魚をたいらげても、

公園をがんばって走っても、

ヘアスタイルを変えても、

新作のバッグを手に入れても、

夜にぐっすりねむって、ねむって、ねむって、

こころのメイクを、

ゼロになるまでクレンジングしないと、

生命体のキラキラは、

湧き上がってこないのだ。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

195

イメージ→チェンジ

前髪は切らないでくださいと言ったのに、美容師さんはザクっと切った。わたしは、あ、という顔をしたけれど、もう取り返しがつかないので、そのままマンガを読むふりをした。くやしくてポロポロと涙がでてきた。美容師さんは、マンガ、悲しいお話なの?と聞いた。わたしは、はい、と答えておいた。美容師さんは髪を切り終え、ケープをはずした。鏡の中のわたしは、短くなった前髪のせいで、眉がくっきりと出ていた。そして目がどんぐりみたいに大きく見えた。泣いたあとの黒目は、ビー玉みたいにキラキラと光っていた。もしかして、わるくないかもしれない。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

194

わずかな月。

細くて薄い金色の三日月が、夜空にぽつん。

宇宙にできた、引っ掻き傷。

まばたきするのは、泣いてる証拠。

傷口は無口で。

なにかしゃべって。

愚痴でもいいから。

わずかな月。

もうすぐ消えてしまいそう。

でもこのライン、

ふわっと笑った口角のはじまりにも、見えてきた。

 

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193

まぶしそうな目のあのこ。

クラスで3番目くらいに人気のあのこのことを、僕は学年でダントツ1番可愛いとおもっている。いや学年どころか、テレビや映画に出てくる人気者よりも可愛いとおもっている、正直言って。あのこの目はいつもまぶしそう。目の中に、キラキラ光る宝石が入っているに違いない。あんなに綺麗な目をしているおんなのこを、僕は他に知らない。たとえば電車にあのこが乗ってくるとする。するとその瞬間、電車の中が異次元の空間に変わる。つり革につかまっているサラリーマンも、漫画を読んでいる小学生も、ロマンチックな物語に出てくる大切な脇役になる。電車の窓から動き出す景色を、あのこがまぶしそうな目で見る。目から湧きだすヒカリが、ゆっくりと電車の中を満たしていく。とてもしあわせなメロディを奏でるように。(どうしてみんなそのことに気づかないんだろう)勉強もスポーツもぱっとしない僕だけど、あのこの魅力を世界一わかっている自信がある。だから僕は、ドキドキして、あのことほとんど口をきけない。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

192

目を覚ます。

朝、冷たい水で顔を洗う。

キンと締まった冷たい真水で顔を洗う。

眠っていた“ほんとう”が目を覚ます。

日々の細々に隠して、

見て見ぬ振りしていた“ほんとう”が、

姿をあらわして鏡の中の自分に問いかける。

そろそろ、目を覚ましたら?

すりガラスであいまいにしていた思考の癖は、もう通用しない。

今日は新しい人生の、最初の日。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

191

フィッシュor チキン?

僕はニューヨーク行きの飛行機に乗っている。狭いシートに沈み込んで、目を閉じている。眠っているわけでも、瞑想しているわけでもない。遠くから聴こえてくるキャビンアテンダントの「フィッシュ or チキン?」を、脳の奥の方でじっと感じている。離陸して数十分後、「さっさと食べさせて、さっさと寝かしつける作戦」にでたらしい。まるで母親だ。乗客を満腹にさせて、あくびが出始める頃を見計らい、消灯。僕はそんな手にはのらない。空腹にチキン(フィッシュより断然チキン派!)をぶち込んだ後は、赤ワインとチーズで映画でも観ながら空の旅を楽しむつもりだ。空の上までは、上司も部下も追いかけてこない。僕は今回の出張のために、2日も徹夜をしたんだ。銀色のワゴンと「フィッシュ or チキン?」がだんだんと近づいてくる。

目をあけると機内は真夜中だった。ところどころで光っている読書灯と、ブーーーンという鈍いエンジン音だけが(いま空の上を飛んでいる)という事実を知らせてくれた。僕は自分の空腹に驚いた。胃の中がからっぽ。そういえば「フィッシュor チキン?」を聴いた後の記憶がない。どうやら眠り込んでしまったらしい。しくじった。(お休みになられていたのでお夕食はうんぬん)などというメモも、残されていない。まったく…。

目をあけると機内は明るかった。またずいぶんと眠ってしまったらしい。多くの乗客が窓を開けており、澄み切った青空が飛行の順調さを示しているようだ。外国人の子どもが、何語かわからない言葉でぐずっている。僕の空腹メーターはもう底をつきそうだった。「ビーフ or チキン?」キャビンアテンダントの声が遠くから聴こえた。朝食だ。今度こそ、四角いプレートにかぶさったアルミホイルを豪快に剥ぎ取り、「ザ・機内食」の味を堪能してやる。前方からカチャカチャという、カトラリーの金属音も聴こえてくる。まるでファンタジックな音楽を奏でる楽器のようだ。「ビーフ or チキン?」がだんだんと近づいてくる。それにしても、迷う。チキンが大好物な僕だけれど、ここはビーフでこってりと空腹を満たしたい気もする。そして熱々のコーヒーを、はじめから2杯分もらおう。キャビンアテンダントは「まぁコーヒーがお好きなんですね」と笑うかもしれない。そして…。

目をあけると機内は真っ暗だった。「シートベルト使用」の赤いサインが目に飛び込んでくる。飛行機が着陸態勢に入ったというアナウンスが、静かな機内に広がっていく。機体はゴゴゴォーーーーーーと唸りながら、じわじわと高度を下げている。(結局、ずっと、眠って、いた。一度も、食事を、することなく。)睡眠を充分すぎるほどとったクリアな脳は、どこか人ごとのように繰り返していた。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

190

うつろう、たのしみ。

三角を描こうとしたのに、丸を描いていた。

腕時計を見るつもりが、じぶんの爪をじっと眺めている。

オムライスを頼もうとしたのに、くちがホットケーキと言っている。

今日は家にいようと決心したのに、着替えているじぶんがいる。

手紙を書こうと便箋を探していたのに、引き出しの整理をはじめている。

エスカレーターに乗るつもりが、隣の階段を駆け上がっている。

深呼吸をしようと窓をあけたのに、空の色合いにあっけにとられる。

こころは、感情は、うつろい続けている。

じぶんでもコントロールできないから、おもしろい。

3分後、わたしはどんな、わたしだろう。

 

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com