273

鏡の中のひと。

三つ編みをほどいたら、大人のウェーブになった。ママの口紅をぬったら、くちびるの目が覚めた。おしろいをパタパタしたら、あまい匂いがあらわれた。ボーン、ボーン、ボーン、ボーン。柱時計が夕暮れを伝えてくる。家族が帰ってくる前にお化粧を落とさなくちゃ。でも、初めて会うじぶんにうっとりとしてしまう。

 

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

272

空の宇宙劇場。

セミのビージーエム。風と風鈴の演出。子どもたちの台詞。クリーニング屋さんの小銭の音。夕焼けサーカス。どこかの家の晩ご飯の匂い。線香花火の寂しさ。星屑の模様。二度と来ない2022年の夏休み。見上げるともう、残りあと少し。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

271

ほぼ満月の夜。

冷たいビールを飲んで、生ぬるい空気の公園を抜けて、今夜ただの同僚より3cmくらい恋人寄りに傾いた僕たち。もう少しで満月になりそうな月が、ぼんやり。彼女が自分のアパートを案内してくれている。(もちろん初!)階段を先に上がる彼女は、振り向いて僕に言った。「あたしたち不良かな?」彼女のいたずらっぽい目。あぁもう完全にノックアウト。はい、僕の負けです。

 

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

270

いま!それだけ。

「いま!」と言ったその瞬間、その今はもう過去だ。今は今しかなくて、今は今の連続だ。いま、いま、いま!いまを楽しもう、いまを感動しよう、いまを踊ろう。二度と感じられない「いま!」を手づかみでムシャムシャ食べるんだ。一番食べたいものから、食べるんだ。後回しなんてしない。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

269

トロピカルムード。

いかにチカラを抜くか、が夏を制するコツ。ギンガムチェックの水着は待ちきれないって顔をしてるし、ビーチサンダルはもう駆け出しそうだし、ザ・ビーチ・ボーイズはラジオでハモってるし、砂糖たっぷりのドーナツは泳いだ後のために待機。ちゃらちゃらと気分のオトで踊ってしまおう。トロピカルなネオンサインに思いっきり引っ張られてしまおう。フクザツなことは後回し。ゴキゲンを最優先。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

268

あなたはよわい。あなたはつよい。

じぶんのヨワヨワなところを熟知しているひとは、つよい。じぶんのブレブレなところを理解しているひとは、つよい。じぶんのメソメソなところを許可しているひとは、つよい。あなたのよわさは、あなたのつよさを生みだしている。

 

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

267

クロワッサンの夜。

お月さまをソファーがわりにするなって、おととい太陽に小言をいわれたけれど、彼女はまんまるお月さまに寄りかかって今夜も本を読んでいる。お月さまはやわらかくて気持ちいいし、真夜中でも読書灯がいらないし。お腹が空くと、お月さまをつまんでひょいとひとくち。(カスタードあじでおいしい)気がつくとお月さまはクロワッサンのカタチになっていた。「いつのまにかこんなに食べちゃってごめん」と彼女はあやまった。お月さまは「わたしを見てクロワッサン食べたくなるひと、いるだろうなぁ」と笑った。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

266

雨の点滴。

グレイの空の下を歩いている。かなしいことがこみあげてくる。目の淵から涙がこぼれ落ちそう。すると、雨粒が、ポツン。腕の上に、ポツン。先回りして空が泣いてくれた。空が気持ちを察してくれた。透明な雨の涙は、やさしくじんわりと染み込んでいく。ありがとう。ありがとう。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

265

ハワイアンドリーム。

「帰りにグァバジュース買ってきてぇー!」が、聞こえたかどうかもあやしい薄情な女友達3人は、ひどい日焼けで動けない私をホテルの部屋に置き去りにして、上機嫌でアラモアナセンターへ出かけていった。ハワイ2日目にしてなんという悲劇。火照りに耐えながら、ずっとベッドの上に横たわっている私。窓の外に広がる空と海が、青すぎてまぶしい。ふぅー。ちょうど寝そべっている目線の高さに、大きな波が生まれる。ひとりのサーファーが上手く乗りこなす。海のシーツにアイロンをかけているみたい。うとうとと、まぶたが重くなってくる。私はもう、ほとんど海と一体になっている。

 

 

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264

こころのシミ抜き。

シミになった直後、無理やりゴシゴシやっちゃったでしょ。わかるよ、つらいから、一刻も早く消したいんだよね。最初は「・(点)」だったのが、逆に広がってしまったね。そっからは見て見ぬふりして、放っておいた。だからほら、シミがかたまっちゃった。でもね、もう大丈夫。あなた、このシミのこと、やさしい目で見てる。シミを受け入れてるんだ。シミは自然に消えていくよ。シミのあった場所が、いつか愛おしくおもえる日がくるから。

 

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com