252

細胞は裏切らない。

「うまくいかない」のくやしさは、細胞が覚えている。「まだここにいる」の焦りも、細胞が覚えている。その細胞たちはいまこの瞬間も、総動員でじぶんをささえている、盛り立てている。なのに「ここだ!」というチャンスがきたら、細胞たちは姿をかくす。くやしさなんて、焦りなんて、もうどうでもいい“集中力の塊”にするために姿をかくす。あたらしい景色が見えてきたら、細胞たちはゆっくりと戻ってくる。違う顔をして戻ってくる。また一緒に歩きだす。

 

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

251

ナイストゥミーチュー?

はじめて会ったのに、なつかしいひとっている。こたつでミカンをむいている背中の角度や、線香花火が残り少なくなった時の表情やら、おぉ!って何かに驚いている姿なんて、出会ったばかりなのに、いとも簡単に想像できる。(というか思い出す)「はじめまして!でもあなたのこと、ずっと前から知っている気がします」勇気があれば言ってみたいけれど、まず無理でしょう。そういうひとって“なつかしパワー”という才能を持っていたりして。ものすごくたくさんのはじめましてで「なつかしい!」と感動させていたりして。(解明する術はない)

 

 

 

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250

わたしレシピ。

眉をしっかり描いたら、眠気がふっとんだ。

唇をグロスで囲んだら、映画のセリフを言いたくなった。

爪をオレンジピンクに染めたら、指が働き者になった。

耳たぶにパールをぶらさげたら、瞳がキランと反応した。

首筋にコロンを落としたら、デイトに行きたくなった。

 

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249

18時03分の瓶ビール。

自分自身を祝福したくて。でも何ひとつ祝福する件はなくて。それでも低空飛行ちゅうの彼はなんとか自分自身を救いたくて、バーに不時着することにした。黒い革張りのドアを押すと、薄暗い空間があった。蝋燭の灯りをたよりに、誰もいないカウンターに座る。マスターは3ミリほどの会釈をする。何年か前に一度だけこの店に立ち寄ったことがあるが(きっと自分のことは覚えていないはずだ)と彼はおもう。今日は知りあいに会いたくなかったので、この状況が好都合だった。透き通ったグリーンの瓶が目の前に届く。冷えた瓶ビール。グラスにゆっくりと注ぐ。落ちていく黄金の液体。ふわりと立ち上がる白い泡。マスターは「おつかれさまです」と声をかける。彼はちいさく乾杯のポーズをとり「おつかれさまです」とこたえた。ビールの味は素晴らしかった。喉を通過していくときに、確かに彼は救われた。そして空腹にアルコールが広がっていくにつれ(マスターはもしかしたら自分のことを覚えているのかもしれない)という気になってくる。なんとなく、と表現するしかないのであるが。あえて放っておいてくれるマスターの心遣いに包まれながら、今日という日を生きた自分を祝福した。

 

 

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248

いちご買って帰ろ。

春のまだ冷たい風を受けながら、私は交差点で信号待ちをしている。紺色とグレーで組み立てた、私のシックなファッション。何にでも合わせられるようにと、アクセサリーや靴も賢く選んでいる。部屋のインテリアもそうだ。飽きのこない落ち着いた空間にしたくて、白やベージュで統一している。(私は無駄なことが大嫌いだから)夕暮れの空に浮かび上がる赤いシグナルを、ぼんやりと眺めていると。「赤が足りない」とおもった。私には、赤が足りない。本当は変わりたい。空気なんて読みたくない。思うままに生きてみたい。自分の殻を破りたい。今まで見て見ぬ振りをしてきた気持ちが、こころの一番奥からあふれてくる。信号が青に変わると、私は一歩を踏みだした。デリカテッセンの前で立ち止まる。真っ赤ないちごと目があう。そうだ、いちご買って帰ろ。やんちゃなほどに赤く染まった、ぷっくりと艶めくいちご。私に食べさせてあげよう。私を目覚めさせてあげよう。

 

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247

パーフェクトモーニング

目覚まし時計より3秒前に目をあけた。ゆでたまごトゥルンとむけた。コーヒードリップまぁるく膨らんだ。天気予報おおはずれ。うまれたてのヒカリたっぷり。遠くの空をあおいで歩く。バスの中のちいさな男のこが手を振ってる。(きゅん)んんんー♩とテキトーにハミングしたら曲ができた。(え、てんさい)今日の予定はなんにもない!(じゆう!)

 

 

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246

バッグの中身紹介。

なんだか恥ずかしいな、バッグの中はごちゃごちゃです。はい、これが「野心」です。細かい傷がついちゃってますねー。「過去」は先週捨てて「未来」に入れ替えました。おかげで軽くなりましたよ。「心配」と「不安」はできるだけコンパクトにまとめてます。振り回されたくないんで。あ、そうそう私が今一番持ち歩きたいのは「本能」なんです。本能を忘れちゃうと、すぐに迷子になってしまうから。

 

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245

セーターの終りのほう。

去年、初めて木枯らしが吹いた朝も、クリスマスの夜も、大雪の新年も、お目当てのピザをテイクアウトした日も、図書館で静かに過ごした日も、ずっと一緒だった一枚のセーター。ぬくぬくと包んでくれた私の相棒。でも、もうあと少し。このセーターと過ごす時間は、終わりのほうだ。次に会う季節、お互いどんな気持ちでいるだろう。

 

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244

プランA to Z

プランAが駄目ですって?だったらプランBがある。プランBも無理?じゃプランCでどうだ。プランCもDもEも違うのですか?それではとっておきのプランFはいかがでしょう。もしプランFじゃないとしたら、プランGも用意しているのですよ。大丈夫。私はプランZまで考えているのです。(小声で)実はプランZにとどまらず、方法は無限にあるんです。本当に、無限に。

 

 

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243

ピクニックセンス。

恋人でもない、親友でもない。でもなにかと一緒にいる彼から、ピクニックに誘われた。バスケットから出てきたのは、よく冷えた白ワイン、クラッカーとクリームチーズ、枝豆入りコロッケ。(手ぶらでいいよ、は正解だった)しゃべったり、しゃべらなかったりしながら、ワインがゆっくり効いてくる。「はい、これ」。彼から渡されたのは、シャボン玉セット。(もしかして天才かな)明るいブルーの空に向かって、ふーーっ。虹色を映す透明の宝石が、勢いよく生まれていく。あぁソフトクリームの雲に届きそう。私たちって、本当はどういう関係なのかなって、考えようとしたけど。シャボン玉が、次々にパチンパチンと消えていくから、やっぱり考えるのはやーめた。

 

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com