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昼間のバァ&オフィス。

「どうせ昼間は閉めてるから、バァを仕事部屋として使っていいよ」とマスター。僕はありがたくお言葉に甘えることにした。カタカタカタカタ。キーボードの音と低く響くジャズが、暖色系の照明に溶け込んでいく。なかなかいい。企画書がぐんぐん進む。サラリーマンを辞めて、新たに会社を立ち上げる僕は静かに燃えていた。

「一杯だけスコッチ飲ませて」。突然ドアをあけて入ってきたのは、今朝ニュースを読んでいたアナウンサーだった。彼はテレビで見るより大柄で、冗談が面白かった。「今は閉めてるんですけど…特別ですよ」と言い訳をしながら、ウイスキーを差し出す。昼間の1時は、彼にとっての真夜中らしかった。

「一杯だけギムレット飲ませて」。しばらくして、美しい二十歳の女流作家が入ってきた。(美貌で賞を獲った、と揶揄されていることは知っている。本は読んだことがない。)徹夜を重ねて最高傑作が書けたらしい。今すぐひとりで乾杯がしたいという。

それから飛行機に乗り遅れた商社マン、失恋したての大学生が、次々にドアをあけた。みんな決まって「一杯だけ」と口にする。一杯だけで終わるなんて僕は(本人も)信じていない。

そして2ヶ月後、僕は昼間のバァのマスターになっていた。皮肉なことに商売繁盛。カウンター越しで仕事をしながら、カクテルを作るスタイルがお客にうけた。商売に気持ちが入っていない感じが(なんか落ち着く)のだそうだ。マスターも「起業したら、ここを事務所にすればいいよ」とゴキゲンだ。僕は「はぁ、どうも」と、中途半端な返事を繰り返す。昼間という中途半端な時間に、中途半端なお酒を飲む人たち。白黒はっきりさせないぼんやりとした空気が、このバァ&オフィスに漂っている。ちなみにバァの名前は「グレー」だ。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

184

クリスマスの練習。

無事にクリスマスを迎えられるために、彼女は今から練習をしています。

 

キラキラのイチゴがのったケーキの味見をしています。

 

グリルしたチキンを、一度にどれだけ食べられるかを試しています。

 

熱々のグラタンで舌をやけどしないように、コツをつかんでいます。

 

白いマシュマロとピンクのマシュマロは、どちらがココアに溶けやすいかを実験しています。

 

シュワシュワのシャンパンを、綺麗に乾杯する練習を何度もしています。

 

クリスマスの本番まで、まいにちがんばります。

 

 

 

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183

好きだらけの日々

エレヴェーターミュージックが好きだから、エレヴェーターに乗る/インクの匂いが好きだから、本を読む/シルバーの重みが好きだから、ステーキを食べる/ピンヒールの音が好きだから、ピンヒールを履く/予告編が好きだから、映画館に行く/ロウソクを消すのが好きだから、ロウソクを灯す/カーボン紙が好きだから、文房具店に行く/搭乗アナウンスが好きだから、飛行場に行く/チーズが膨らむ瞬間が好きだから、オーブントースターを覗く/放送終了の告知が好きだから、深夜までテレビを見る/小鳥の声を聴くのが好きだから、目をとじる/景色が変わるのが好きだから、走りだす

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たびする、めだまやき。

あるひフライパンは、めだまやきをやいていました。フライパンはジリジリとしかめっつら。めだまやきは、はずみをつけて、まどからとびだしてしまいました。まてーーー!!フライパンはおおあわて。やねのうえ、きのうえをさがします。でも、めだまやきはいません。あーーー!!フライパンは、ぜつぼうのこえをだしました。そらをみあげると、きいろいたいよう?いいえ、めだまやきがきもちよさそうに、あおいそらをおよいでいるではありませんか。フライパンは、めだまやきをおいかけます。おーいここにもどってきてくれー!ぴゅーーーーーーーーーーぺちっ。フライパンは、めだまやきをみごとにうけとめました。めだまやきは、ひとつのめでウインクをしていいました。「たまには、そとであそばないとだめよ」。

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181

レコードが終わるまでに。

レコードが終わるまでに、彼女はキャミソール、ガウン、薄手のセーター、白いタイトスカート、後ろにラインが入ったストッキング、香水の5番、パールのネックレス、ボディクリーム、地図、(偽造の)パスポート、暗号が書かれた手帳、(指紋消しの)手袋を、ペパーミントグリーンのスーツケースに詰め込んだ。そして彼女は目を閉じ、これから行う仕事を頭の中でシミュレーションした。どんな状況に転ぼうが、仕事が成功することだけは確かだった。彼女の一番の武器。それは、誰もが一瞬息を止めてしまうレベルの美貌。(プツリ…プツリ)これはレコードが終わったオト。

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180

デートという試験。

彼女と学校以外の場所で初めて会うことになった。いわゆるデートというやつだ。クリーム色のカーディガンを羽織った彼女を本屋(待ち合わせ場所にした)で見つけた瞬間、僕は人格が変わってしまった。教室では冴えたギャグを連発してみんなを笑わせていた僕が、突然、つまらない男になってしまった。言葉が出てこない。何をしゃべっていいのかわからない。僕は昨日までいったい何をしゃべっていたのだろう。自分の心臓の音だけがドクンドクンうるさく主張する。

「どこ行こっか?」彼女はいつものナチュラルな彼女だ。「とりあえずアーケード歩こうか。」僕は自分の“言いまわし”に絶望する。歩こうか…って。普段は使わない言葉。もう自分が自分でなくなっている。いつもの商店街がよそよそしく見える。足が地面から3センチくらい浮いている。フワフワする。段取りとしてはもうすぐ見えてくる喫茶店に入るのだが、どう誘っていいのかわからない。

「お腹空かない?あのお店のホットケーキ美味しいんだよ?」彼女が先に切り出してくれた。よかった。でも、僕の気持ちを見透かされているのかもしれない。あぁいつもの僕に戻ってくれ。このままだと彼女に愛想をつかされる。夕方の5時を知らせる商店街の音楽が鳴りだす。その音は試験開始の先生の声のようだった。

 

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179

冬の下ごしらえ。

さむい日にあえての水いろコートを羽織るから、

肌が透けるまで磨いておかなくっちゃ。

 

あったかココアをふーふーするから(定番☆)、

ちいさな爪をレンガいろレッドに染めなくっちゃ。

 

もこもこマフラーを顔までぐるぐる巻くから、

まつげは濡れ気味つやんにカールしなくっちゃ。

 

しゅるしゅると沸騰ちゅうの湯気が、

「冬の下ごしらえはお早めに〜」って言ってます。

 

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178

でこぼこダイアリー。

いいことあった。スキップした。がんばってきたごほうびだ。ほらね、ほらね、いい気分。石につまづいて、あぁっ。ひざこぞうが火のように痛い。うずくまった。涙がにじんだ。真っ黒なアリが歩いてる。自分よりも大きな荷物をかついでる。じっと見つめているのに、アリはそんなことおかまいなし。もう一度立ち上がってみようか。両手を振って進んでいこうか。誰も触っていない、真っ白な明日が用意されてるんだ。

177

淡い日。

こころが淡い日は、ちいさな音も聴こえる。

だから枯れ葉が落ちた音も聴こえる。

こころが淡い日は、ちいさな針の穴にも糸が通る。

だから後ろ姿でその人の傷がわかる。

世界じゅうがシンと静まり返って、

空気が透明になっていく。

そっとそっとしておくんだ、

わたしのことも、

あなたのことも。

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176

雨屋。

夕暮れの風が気持ちいいものだから、私は散歩コースを変更した。いつもの角を曲がらずにまっすぐ→なんとなく右→なんとなく左に曲がる。一軒の店が目に入る。「雨屋」。表札くらいのちいさな看板。店に入ってみると、そこだけ雨の音で満たされていた。ザーーーーーーザーーーーーーザーーーーーーこの前、傘をなくした私は(いい傘ないかなー)と探してみる。「あのう、折りたたみ傘、ありますか」私は店の女性に聞いた。「うち、傘、おいてないんですよ」店の名前といい、雨のBGMといい、少なく見積もっても1万%くらいは傘が売ってあると思ったので、私はかなり驚いた顔をしていたとおもう。「雨の音のレコードや、雨の匂いがするウイスキーなどはあるのですが…」申し訳なさそうに女性はこたえた。「このキャンディは?」私は雨屋に興味を抱きはじめていた。「こちらは夕立キャンディです。雨が降りはじめた時に口に入れると、晴れ間が見える頃に味が変わるのです。雨あじから晴あじに」私は迷わず夕立キャンディを買った。次の夕立はいつだろう。今から待ち遠しくてたまらない。雨屋を出てしばらく歩いていると、ほっぺたを雨粒が(かすった)と感じた。と、次の瞬間、ザーーーーーーーーーザーーーーーーーーーと天から夕立が落ちてきた。私は即座にキャンディーを一粒口に入れる。盛大に雨に濡れながら、散歩の続きを楽しむことにした。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com