354

難解な注文の多いレストラン。

メニューをひらくことはせずに、彼女はギャルソンを見上げた。「今夜は“ふう”がいいわ」ギャルソンは聞き耳をたてるポーズをして、彼女に顔を近づける。「“ふう”とは“風”のことよ」ギャルソンは目を軽く閉じて、深く一度頷いた。「シンガポール“風”の焼き鳥に、ベトナム“風”の春巻き、スペイン“風”の魚介類の煮込みをお願い」彼女は続けた。「フランス“風”のシャンパーニュを、ベネチアングラス“風”のグラスで飲みたいわ」ギャルソンは注文を繰り返した。彼女は遠くを見ながらつぶやいた。「今夜は“ふう”がちょうどいいの。本物は重たいもの」

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

1
TOP
CLOSE

電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com