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悲しみ方を知らない。

彼は偉大な人物を知っている。古くからの友人Nだ。Nの何がそんなに偉大であるのか。それは自分の中の“悲しみの感情”を、真正面から受けとめる才能があることだ。しかもNはすべてを受けとめるほどの器を持ち合わせていないので、器はすぐにひび割れて、隙間からボロボロと涙がこぼれ落ちる。Nは涙を拭くこともせずに、ただただ悲しみの底辺まで到達するのだった。しかし、しばらくすると“気が済んだ”としか言いようのない(涙を枯らすという)復活方法で、また歩きはじめる。時には口笛を吹きながら。彼はそんなNをそばで見ていて、羨ましいと思わずにはいられなかった。彼は自分の弱さから逃げる、という方法でずっと生きてきたから。自分の中の弱い部分に蓋をして、自ら鈍感であることを選び続けてきたのだ。そして(まぁまぁな出来事が起こってしまった)今夜も、自分に蓋をしたまま、缶ビールのプルトップを開ける。ほの暗い部屋で、そっと息をしながら。悲しみ方を知っている、偉大なNのことを思い浮かべながら。

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com