悲しみ方を知らない。
彼は偉大な人物を知っている。古くからの友人Nだ。Nの何がそんなに偉大であるのか。それは自分の中の“悲しみの感情”を、真正面から受けとめる才能があることだ。しかもNはすべてを受けとめるほどの器を持ち合わせていないので、器はすぐにひび割れて、隙間からボロボロと涙がこぼれ落ちる。Nは涙を拭くこともせずに、ただただ悲しみの底辺まで到達するのだった。しかし、しばらくすると“気が済んだ”としか言いようのない(涙を枯らすという)復活方法で、また歩きはじめる。時には口笛を吹きながら。彼はそんなNをそばで見ていて、羨ましいと思わずにはいられなかった。彼は自分の弱さから逃げる、という方法でずっと生きてきたから。自分の中の弱い部分に蓋をして、自ら鈍感であることを選び続けてきたのだ。そして(まぁまぁな出来事が起こってしまった)今夜も、自分に蓋をしたまま、缶ビールのプルトップを開ける。ほの暗い部屋で、そっと息をしながら。悲しみ方を知っている、偉大なNのことを思い浮かべながら。
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。