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18時03分の瓶ビール。

自分自身を祝福したくて。でも何ひとつ祝福する件はなくて。それでも低空飛行ちゅうの彼はなんとか自分自身を救いたくて、バーに不時着することにした。黒い革張りのドアを押すと、薄暗い空間があった。蝋燭の灯りをたよりに、誰もいないカウンターに座る。マスターは3ミリほどの会釈をする。何年か前に一度だけこの店に立ち寄ったことがあるが(きっと自分のことは覚えていないはずだ)と彼はおもう。今日は知りあいに会いたくなかったので、この状況が好都合だった。透き通ったグリーンの瓶が目の前に届く。冷えた瓶ビール。グラスにゆっくりと注ぐ。落ちていく黄金の液体。ふわりと立ち上がる白い泡。マスターは「おつかれさまです」と声をかける。彼はちいさく乾杯のポーズをとり「おつかれさまです」とこたえた。ビールの味は素晴らしかった。喉を通過していくときに、確かに彼は救われた。そして空腹にアルコールが広がっていくにつれ(マスターはもしかしたら自分のことを覚えているのかもしれない)という気になってくる。なんとなく、と表現するしかないのであるが。あえて放っておいてくれるマスターの心遣いに包まれながら、今日という日を生きた自分を祝福した。

 

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com