185

昼間のバァ&オフィス。

「どうせ昼間は閉めてるから、バァを仕事部屋として使っていいよ」とマスター。僕はありがたくお言葉に甘えることにした。カタカタカタカタ。キーボードの音と低く響くジャズが、暖色系の照明に溶け込んでいく。なかなかいい。企画書がぐんぐん進む。サラリーマンを辞めて、新たに会社を立ち上げる僕は静かに燃えていた。

「一杯だけスコッチ飲ませて」。突然ドアをあけて入ってきたのは、今朝ニュースを読んでいたアナウンサーだった。彼はテレビで見るより大柄で、冗談が面白かった。「今は閉めてるんですけど…特別ですよ」と言い訳をしながら、ウイスキーを差し出す。昼間の1時は、彼にとっての真夜中らしかった。

「一杯だけギムレット飲ませて」。しばらくして、美しい二十歳の女流作家が入ってきた。(美貌で賞を獲った、と揶揄されていることは知っている。本は読んだことがない。)徹夜を重ねて最高傑作が書けたらしい。今すぐひとりで乾杯がしたいという。

それから飛行機に乗り遅れた商社マン、失恋したての大学生が、次々にドアをあけた。みんな決まって「一杯だけ」と口にする。一杯だけで終わるなんて僕は(本人も)信じていない。

そして2ヶ月後、僕は昼間のバァのマスターになっていた。皮肉なことに商売繁盛。カウンター越しで仕事をしながら、カクテルを作るスタイルがお客にうけた。商売に気持ちが入っていない感じが(なんか落ち着く)のだそうだ。マスターも「起業したら、ここを事務所にすればいいよ」とゴキゲンだ。僕は「はぁ、どうも」と、中途半端な返事を繰り返す。昼間という中途半端な時間に、中途半端なお酒を飲む人たち。白黒はっきりさせないぼんやりとした空気が、このバァ&オフィスに漂っている。ちなみにバァの名前は「グレー」だ。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

 

1
TOP
CLOSE

電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com