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雨屋。

夕暮れの風が気持ちいいものだから、私は散歩コースを変更した。いつもの角を曲がらずにまっすぐ→なんとなく右→なんとなく左に曲がる。一軒の店が目に入る。「雨屋」。表札くらいのちいさな看板。店に入ってみると、そこだけ雨の音で満たされていた。ザーーーーーーザーーーーーーザーーーーーーこの前、傘をなくした私は(いい傘ないかなー)と探してみる。「あのう、折りたたみ傘、ありますか」私は店の女性に聞いた。「うち、傘、おいてないんですよ」店の名前といい、雨のBGMといい、少なく見積もっても1万%くらいは傘が売ってあると思ったので、私はかなり驚いた顔をしていたとおもう。「雨の音のレコードや、雨の匂いがするウイスキーなどはあるのですが…」申し訳なさそうに女性はこたえた。「このキャンディは?」私は雨屋に興味を抱きはじめていた。「こちらは夕立キャンディです。雨が降りはじめた時に口に入れると、晴れ間が見える頃に味が変わるのです。雨あじから晴あじに」私は迷わず夕立キャンディを買った。次の夕立はいつだろう。今から待ち遠しくてたまらない。雨屋を出てしばらく歩いていると、ほっぺたを雨粒が(かすった)と感じた。と、次の瞬間、ザーーーーーーーーーザーーーーーーーーーと天から夕立が落ちてきた。私は即座にキャンディーを一粒口に入れる。盛大に雨に濡れながら、散歩の続きを楽しむことにした。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com