画家とモデル。
古いエレヴェーターのボタンを押す。数字の4。脇に挟んだクラッチバッグには、口紅1本と紙幣2枚だけ。(バッグが膨らむ無粋を彼女は恐れていた)鈍い音をたてながら上昇していく箱の中は、彼女がスイッチする場所。秘書から絵のモデルへと変わる瞬間。エレヴェーターのドアがあくと、インディゴブルーのカーペットが伸びていた。左右にはグレーのドアが連なっており、よく磨かれた金色のノブが一本の廊下に映えている。部屋の数字は404。4回ノックする。ドアがあく。画家は彼女の顔からヒールの先まで目線を移動させると、首を縦に振った。絵のモデルとして合格という意味だ。部屋の中央に一脚の椅子が置いてあった。彼女はまっすぐ椅子の場所まで歩き、そして座った。画家はやっと口を開いた。「あなたの一番最初の記憶を、頭の中で浮かべてください。その感覚をずっと味わってください。」彼女は質問した。「なぜ一番最初の記憶なのでしょう。」画家は言った。「ここに居るのにここに居ない女の顔を描きたいからですよ。」彼女は充分に納得してうなずいた。夕方の空に雷が立て続けに鳴っている。彼女は目を閉じて深呼吸をする。画家が持つグラスの氷が、一個液体に変わる。彼女は2歳の女の子になっていた。実家の居間にうっすらと母親が浮かんできた。
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。