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フライトが終わったら。

彼女はホテルの部屋に入ると、ブルーの航空バッグを革のソファーに放り投げた。赤い口紅と白い封筒がカーペットの上に落ちる。航空会社のバッジがついたジャケットのボタンを外しながら、白い封筒の中身を確認する。 “あなたに一目惚れしました”とイタリア語で書かれた、乗客からのラヴレターだった。(よくあることだった)

バスタブにお湯をはるために、スリップ一枚で浴室に進む。立ち昇る湯気が、機内で乾燥してしまった肌に染み込んでいく。呼び鈴が鳴る。厚手のバスローブをはおり、夕食を受け取る。銀色のドームカバーをあけると、ほうれん草のソテーとヒレ肉のステーキ。シャンパーニュの瓶の下には白いカード。“ホテルをクビになってもあなたとデートがしたい”というメッセージが、フランス語で添えられていた。(よくあることだった)

クリーム色のぽってりとした電話機が鳴る。「ぼくだよ」と、彼女よりずっと年下のあまい声の持ち主。「あいしてる」ブロンドの髪の毛を掻き上げながらささやく。「ぼくもあいしてるよ」棒読みのような言い回しに彼女の胸はときめく。「はやくあいたい。わたしがあいしてるのは、あなただけ」もう一週間も会えない3歳になる愛息の声を抱きしめる。

 

*「電車は遅れておりますが」 は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com