97

シーン3:老婦人と札束

黒いクロコダイルのハンドバッグをあける。

その中から濃い珈琲色の長財布を取り出す。

彼女の手は年輪を重ねたシミや皺、青い血管が浮き出ていた。

10本の指先には真っ赤なネイルが完璧に塗られ、

左手の薬指には清楚に輝くダイヤモンドが添えられている。

老婦人は長財布からゆっくりと1万円札を7枚抜き、

一瞬(ばれないように)鼻に近づけた。

お金の、あまい、匂いがした。

この行為は少女だった頃からの癖で、

その度に母親から“お行儀が悪い”と叱られていた。

7枚の札は革のトレイに置かれた。

ホテルのフロントクラークは、ゆっくりと札を数えた。

そして30パーセントほどの笑みに、あとの残りは信頼に満ちた頷きで

“確かにお預かり致しました”を表現した。

老婦人がお金を支払った。

神聖なる儀式であるかのように、すべてが美しかった。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

1
TOP
CLOSE

電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com