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細胞の総入れかえは一瞬で。

昨日までの自分の中身は、いったい何の成分で出来ていたのだろう。パソコンのキーボードを押すことやら、美容院の予約をすることやら、ヨーグルトの蓋を用心深く開けることなど、そうそうこころを使っているとはおもえない。何を考えて生きていたのだろう。昨日までの自分が別人になった。

今日、あのひとが目の前に現れた。そして身体じゅうの細胞がすべて入れかわってしまうのに1秒もかからなかった。あのひとのまつ毛やら、指の関節の感じやら、声の色やらが、彼女を(勝手に)しあわせにした。まあたらしい細胞は、とても軽やかで艶々としていた。

彼女は電車のドアが閉まるオトさえも美しく聴くことができた。駅に着くまで、たっぷりあのひとのことを考えられる。まあたらしい自由に、めまいがするほどだった。地上に出るとあたらしい夜空が広がっているはずだ。あのひとが細胞に染み込んだ彼女は、世の中のすべてが初めてみるものに変わっていた。

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

 

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com