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夏が終わらないうちに、終わってしまうもの。

駅の改札を出た右側、柱の影に彼の顔を見つけた瞬間、夏が始まった。まだ折り目のついていない、まっさらな夏。初めての待ち合わせ。ふたりが歩き出した瞬間、夏がうごきだした。

「どこいこっか」彼の口角は上がっていて、彼女のノースリーブの腕は美しかった。もう夕方なのに、太陽はなかなか傾いてくれなかった。

夏のてっぺんの日、ふたりは映画館から出てきた。映画の感想を交わしながら、甘いカクテルを味わった。なまあたたかい夜はどこまでも透明で、森の香りがした。

夏が遠い目をした日、ふたりは歩道橋を渡っていた。「用事があるから」彼女は彼の用事の中身を聞けなかった。

夏の後ろ姿をみた日、彼女は6枚切りの食パンを買った。一緒に食べたクロワッサンの棚は、見るのもつらかった。

パンの袋を指に引っかけて、帰り道を歩いた。「まだ蝉、鳴いているんだ」彼女の夏はとっくに終わってしまったのに。

 

 

*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。

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電車は遅れておりますが

ふわっと映像が浮かんで、
こころが6.6グラム(当社比)軽くなる。
ワンシチュエーションでつづる、
シラスアキコのショートストーリー。

自分がジブンにしっくりくる感じの時は、気分がいい。
こころと身体が同じ歩幅で歩いているのがわかる。
いつもこんな感じで生きていきたい。

でも、かなりの確率でイライラと聞こえてくる
「お急ぎのところ、電車が遅れて申し訳ございません」。

そんな時は“ここじゃないどこか”に、
ジブンをリリースしてしまおう。
きっと気持ちの針が、真ん中くらいに戻ってくるから。

シラスアキコ Akiko Shirasu
文筆家、コピーライター Writer, Copywriter

広告代理店でコピーライターとしてのキャリアを積んだ後、クリエイティブユニット「color/カラー」を結成。プロダクトデザインの企画、広告のコピーライティング、Webムービーの脚本など、幅広く活動。著書に「レモンエアライン」がある。東京在住。

color / www.color-81.com
レモンエアライン / lemonairline.com
contact / akiko@color-81.com

◎なぜショートストーリーなのか
日常のワンシチュエーションを切り抜く。そこには感覚的なうま味が潜んでいる。うま味の粒をひとつひとつ拾い上げ文章化すると、不思議な化学反応が生まれる。新たな魅力が浮き上がってくる。それらをたった数行のショートストーリーでおさめることに、私は夢中になる。

イラストレーション
山口洋佑 / yosukeyamaguchi423.tumblr.com