
夏が終わらないうちに、終わってしまうもの。
駅の改札を出た右側、柱の影に彼の顔を見つけた瞬間、夏が始まった。まだ折り目のついていない、まっさらな夏。初めての待ち合わせ。ふたりが歩き出した瞬間、夏がうごきだした。
「どこいこっか」彼の口角は上がっていて、彼女のノースリーブの腕は美しかった。もう夕方なのに、太陽はなかなか傾いてくれなかった。
夏のてっぺんの日、ふたりは映画館から出てきた。映画の感想を交わしながら、甘いカクテルを味わった。なまあたたかい夜はどこまでも透明で、森の香りがした。
夏が遠い目をした日、ふたりは歩道橋を渡っていた。「用事があるから」彼女は彼の用事の中身を聞けなかった。
夏の後ろ姿をみた日、彼女は6枚切りの食パンを買った。一緒に食べたクロワッサンの棚は、見るのもつらかった。
パンの袋を指に引っかけて、帰り道を歩いた。「まだ蝉、鳴いているんだ」彼女の夏はとっくに終わってしまったのに。
*「電車は遅れておりますが」は毎週火曜日に更新しています。